13世紀後半のイングランドで書かれた荘園の農業経営に関する記録の中に「乳しぼり女」という専門職の女性が出てくる。領主が経営する農場で家畜を管理し乳を搾りチーズをつくる役割を担っていた女性達である。時代と共にチーズ造りも機械化され工房には男性職人の姿も見えるようになるが、古来よりチーズ造りは女性の仕事であり、現在もその伝統を引き継いでいる所はたくさんある。
私がたった一人でチーズを造る女性職人に最初に出会ったのは1990年頃の事で、場所はフランスのアルザス地方にあるヴォージュ山中であった。この緩やかな山脈の尾根筋に若い夫婦が牧場を開き、牛を飼ってマンステルという伝統チーズを作っていた。この牧場では牛の世話や搾乳などの外回りは夫の役割で、搾りたての牛乳はただちに奥さんのチーズ工房に届く。すると待っていた奥さんはチーズ造りを始める。旦那さんはいっさい工房には足を踏み入れなかった。これを見てチーズ造りは女性の仕事という数百年来の伝統が、この山中にも残っているのを見てチーズの奥深さを感じたのである。
その後ヨーロッパの主要なチーズの産地を取材して回ったが、最も感銘を受けたのがポルトガルを縦断したときの事であった。ポルトガルは西側を大西洋に接する縦長の国だが、その南部の内陸にエヴォラというローマ時代からの古い町がある。ここは、今から400年ほど前、まだ15~16才だった日本のキリシタンの少年4人が「遣欧少年使節」としてヨーロッパに派遣されこの町を訪れたというが、今回はチーズ話である。筆者がこの古く美しい町を訪れたのはケイジョ デ・エヴォラという羊乳製のD.O.P.チーズの工房を見るためである。街を出るとすぐに真っ白な壁の美しい工房が見えた。
中に入ると、何と男性の姿は全く無く、そこは女性だけのチーズ職人の世界だった。しかも年配の職人が多く、80代とお見受けするおばあちゃんもチーズを作っていた。その工房の見学を終えて、さらに北上するとポルトガルのさほど高くない山脈を超えるがその山中には、D.O.P.指定の山羊乳チーズ、セーラ・ダ・エストレーラの工房があった。工房に入るとここもすべての職人が女性で、しかも若い人が多い。そのわけは製造工程を見て理解した。このチーズのカードの脱水作業は力仕事なのである。写真のように布袋に入れたカードを力任せに押し付けて脱水する。年寄りにはつらい仕事のようだ。
4点目の写真は、北イタリアはピエモンテ州で造られる羊乳製の小さな名品D.O.P.指定のムラッツァーノの工房である。ここでは小型のムラッツァーノの他、座布団型のような意表突く形のチーズも試食したが、この様な田舎では上品で高価なP.D.O.チーズだけでは食べていけないという。だから地元消費用の様々な形のチーズを作っているという。丘の上の試食室からはアルプスの山並みがみえた。
さて、最後は大西洋に浮かぶスペイン領のカナリア諸島の話である。コロンブスのお陰で、これらの島々の存在を知る人は多いが、普通の人はこれらの島へ行く理由が見つからない。筆者も生涯行くこともあるまいと思っていたが、突然カナリア諸島のチーズ探訪という格好の口実が発生し、アフリカ近くまで飛ぶことになった。写真は7島ある諸島の中心で州都があるグラン・カナリアの山羊乳チーズの工房である。といってもこの島は周囲が40km余りの火山島であり、貿易風が吹き付ける島の北側には緑が多いが、南部は砂漠同然の島だ。訪ねた工房は,北部の標高1000m程の火山灰土の上に建っていた。だが工房に入って驚いた。2人の若い美女姉妹が母親と共に究極の手作りでケソ・デ・ギアというチーズを作っていた。
ミルクの凝固はミルクの輸送缶で行い、カードのカッテンングは腕で行う。そして脱水装置は美女たちの体重であった。これでD.O.P.チーズができてしまうのである。この様にチーズは機械に頼らずとも長年かかって女性たちの柔軟な生活の知恵によって進化してきたのである。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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