フランスの東部、スイスとの国境を接するところにジュラ山脈がある。高校の教科書に出てくるジュラ紀という地質用語は、このジュラの山地に由来する。少し乱暴に言えば数千万年前にアフリカ大陸がヨーロッパ大陸の下に潜り込み、その圧力で盛り上がったのがアルプス山脈である。さらにその力が北西側の海底を押し上げ、分厚い絨毯のしわの様に褶曲してできたのがジュラ山脈である。山脈といっても高い所でも1700m前後。スイス側はやや険しいが、フランス領が大半を占める北西側は傾斜が緩やかな高原が広がる。
この穏やかなジュラの山地一帯は昔から酪農が盛んでチーズの産地としても知られている。この地方で作られる山の銘チーズのコンテはスイスを代表するグリュイエールと兄弟のようなもので、コンテのフルネーム?は、コンテ・ド・グリュイエールである。昔はチーズに国境はなかったのだろう。コンテはフランスのAOPチーズの中では最大の生産量を誇り、フランス人に最も愛されているチーズの一つである。このほかジュラ山地では3つのAOPを取得しているチーズがある。その一つは20世紀の後半、にわかに人気が沸騰したモンドールと、チーズの中心に黒い線が入ったモルビエ、そして、これから訪ねることになるブルー・ド・ジェックスである。
起伏に富んだジュラの山地にはエピセア(épicéa=唐檜)の林に囲まれた豊かな草地が広がっていて、夏から秋にかけて、高度差や地域によって異なるが、平均すると130種の草花があり、山地全体では600種に近い高山の草花が咲くという。(出典:コンテ生産者協会)これらの花々がそれぞれの地域のチーズの味と品質を支えているのである。またエピセアとは北海道のエゾ松に近いマツ科の樹木でアルプスからこの辺り一帯では建築材としても重要だが、チーズの風味作りにも重要な役割を果たしている。コンテやジェックスはエピセアの棚板の上で熟成させ、モンドールなどは側面にエピセアの樹皮を巻き、エピセアの棚で熟成させることによって特有の風味を作り出しているのである。
さて今回訪ねるブルー・ド・ジェックスは、ブルー・チーズには珍しいお供え餅の形をしている。うまく熟成させた上質なジェックスを半部に切ると、青かびがまるで薄暮の中のエピセアの森を連想させる美しい模様を描いている。青かび特有の刺すような強さはなく風味は穏やかで、ややもっちりとした優しいテクスチャーである。産地はジュラ山脈の南端近くの狭い地域でその名の由来はジュネーヴの北西20kmほどの国境沿いの町、Gexに由来するが、このチーズは更に生産地によってセットモンセル(Septmoncel)とオー・ジュラ(Haut-Jura)という2つの名前を持っている。
この地方のチーズはフリュィティエールという地域ごとの生産者組合が経営する製造所で作られるが、現在ジェックスの製造所は4軒しかないというから絶滅危惧種に近い。
その一軒を訪ねた。ジュネーヴ空港から車でローヌ川を少し下ると、北から流れ下る川が合流する。その谷を遡っていくと、間もなく両岸の草地に放牧されたモンベリアード種という乳牛の群れに出会う。間もなく民家が十数軒しかない小さな村が現れ、そのはずれに平屋建てのチーズ工房があった。さっそく見学させてもらったが、工房内をガラス越しに見下ろす方式になっているから写真はとりにくい。すでに作業は型詰めの最後の段階ですぐに終わってしまい写真の成果は少なかった。気を取り直して売店でジェックスの大きな塊を買った。日本ではこのチーズを堪能するなどめったにできる事ではない。夜を楽しみに、好天に恵まれたジュラ山地の快適なドライブを楽しみながら次の目的地に向かった。