(2)ミルクを運ぶ輸送缶
今回のテーマは乳を運ぶ金属の輸送缶です。北海道の開拓酪農家出身の私にとって、生まれた時から見慣れた容器で、この道具無くして当時の酪農は成り立たなかったでしょう。品質が低下しやすい搾りたての牛乳をこの缶に入れて冷たい湧き水や井戸水で冷却保存し、馬車で集乳場へ運搬するという重要な役割を担ってきたのです。しかしこのミルク缶はどこからきたのか。和仁皓明氏の『牧野のフロントランナー』によれば明治政府は、欧米産業導入政策の一環として、酪農を主体とした北海道開拓事業を推進するためアメリカから技術者を招きます。その一人が後に「北海道酪農の父」といわれたエドウイン・ダンという人で1873年に雌牛20頭を引き連れて来日したとあります。記録にはないけれど牛乳を保存し輸送するこの容器も、この時に雌牛と一緒に北海道に上陸したと想像されるのです。
あれから100余年、このミルク缶は北海道酪農の象徴的な道具になっていくのですが、20世紀の後半、酪農が大規模になると牛乳の運搬のためのタンク車が現れ、この道具は次第に使われなくなっていくのですが、この道具の機能はとても優れていました。素材は分厚いアルミで造られているから頑丈で清潔。蓋はぴったりとはまっていて倒しても牛乳は漏れないのです。
1980年代からヨーロッパの伝統チーズを求めて各国の工房を訪ね歩くうちに、久しぶりこのミルク缶に出会うことになるのですが、その機能もデザインも我々の時代の物とほとんど変っていないのです。写真①は北イタリアのパルミジャーノ・レッジャーノの工場にあったもので、ほぼ30年ぶりの出会いでした。なかなかスマートなデザインのミルク缶でしたが、この大型チーズを作っている工房でどんな役割を果たしているのか。これは憶測ですが、この地方のもう一つの特産品にパルマの生ハムがありますがが、このハムの原料豚にはパルミジャーノのホエイを与えるべしという決まりがある。そのためチーズ製造で排出されるホエイを養豚業者に運ぶためにこのミルク缶が使われているのかも知れません。
写真②はナポレオンの生地であるコルシカ島のミルク缶です。この島は小さな山脈が海に沈んだような地形で平野がほとんどなく木々に覆われた山地が続くのです。そんな島の山中のチーズ工房で撮ったもの。この様な環境にある小さなチーズ工房ではこのミルク缶はまだ主役なのでしょう。写真は、1日の役割を終えたミルク缶を洗浄、加熱殺菌して乾燥しているところです。
写真③はフランス東部のヴォージュ山中の牧場で若夫婦が牛を飼い、マンステルを作っている工房の風景です。朝、外回り役の旦那さんが搾ったばかりの牛乳を丸い小さなタンクに入れて奥さんのチーズ工房に届けている。その脇にはやはりミルク缶があります。タンクに入り切らなかった牛乳をこの缶に入れて届けている。この様にこの道具はチーズ造りの原場では様々な補助的な役割も果たしているのです。
写真④と⑤はさすがの筆者もぶっ魂げた光景です。ところは大西洋に浮かぶカナリア諸島のグラン・カナリア島でのチーズ造りの光景です。ここでは中年のおばさんが若い女性2人と Flor de Guia というD.O.P.認証のチーズを作っているのです。火山島の中腹の斜面にある工房は半地下になっていて、まずはチーズが並んだ中くらいの部屋があり、そのわきには狭い洗い場と小さな部屋が一室あるだけで、チーズを作る道具らしいものは見当たらないのです。小さな部屋に案内されるとミルク缶が2本あり、おばさんと若い女性がいきなり腕まくりして缶の中のミルクをかき混ぜ始める。これはミルク缶の中で凝固させたカードをカッティングする作業だと気づくには少しかかったけれど、これにはびっくり。
ホエイの排出も台所にあるようなザルを使っていました。そして練ったカードをモールドに詰め二人のお嬢さんがその上に乗かってプレスする。これで4個のグリーンチーズができ上がりました。
©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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