プロヴァンスの山羊たち
19世紀のフランスの作家アルフォンス・ドーデの短編集「風車小屋だより」には、南仏プロヴァンス地方を舞台にした短編が多数収められていて、その中にはこの地方特有の風土や魅力あふれる情景が描かれていた。そんなイメージを胸に初めてこの地方を訪れたのは、やっと自由にヨーロッパ旅行ができる時代になってからである。その後1989年にはイギリスの作家ピーター・メイルがこの地に暮らして書いた「南仏プロヴァンスの12ヵ月」が世界的なベストセラーなると、多くの国の人々がこの地を訪れるようになる。そんなブームも去り、今はウメバガシやビャクシンなどの灌木の林に覆われた低い丘が続く山道は通る人もまれである。時折真っ赤なひなげしの群や黄色いエニシダの花の群落が現れては去っていく。この様な地中海性気候によって作られた植物の生態系をガリッグ(garrigue)と呼ぶ。それが山羊乳チーズの名前にもなった。
今回も前回に引き続きプロヴァンスの山羊乳のチーズを探る旅である。チーズ探訪の旅は朝が早い。宿泊地のマルセイユから北に20kmほど高速道路を走るとエクス・アン・プロヴァンスという古い町に行きつく。この町には印象派の画家ポール・セザンヌの生家が残っているので若い頃訪ねたことがあった。この町からはセザンヌが好んで描いたサント・ヴィクトワール山が望まれるのだが、町の外周を通る高速道路を走ると、あっという間に通り過ぎてしまい白い石灰岩の山の姿を撮影する間もなかった。エクスの町から北に20kmほど行くとローヌ川の大きな支流の一つのデュランス川が流れていて、この川の北側にはピーター・メイルが住んだ村があり、前回紹介した山羊乳チーズの名品Banonの工房が点在している。この栗の葉に包まれたバノンは日本でも知られているが、もう一つロヴ(Rove)種の山羊乳でつくる、ロヴ・デ・ガリックというチーズがあり、そのチーズのラベルには必ず立派な角を生やした、ロヴ種という山羊が描かれている。今回はこの山羊達に会うためにプロヴァンスの山中に出かけたのである。曲がりくねった山道を地図でたどるのは一苦労だが今回は走行距離も短く、まもなく目的の山羊牧場に到着した。
さっそくロヴ山羊に面会しのたが、そのツノの立派さ迫力には改めて驚いた。そしてこのツノを見てアルフォンス・ドーデの短編集の中の「スガさんの山羊」を思い出した。スガという爺サマが飼う一匹の勇敢な山羊が、自由を求めて山中に逃亡して遊びまわる。だが、夕方突然現れた狼と自慢のツノで戦うが最後には食われてしまうという話である。
それはそれとして、フトこんな風に横に張り出した立派なツノを持つ山羊の搾乳はどうするのだろうと、いらぬ心配をしてしまう。このツノを振り回されたらタダではすむまい。普通の山羊であれば餌のある狭いところに首を突っ込ませ餌を食べている内に搾乳機で流れ作業式に搾ってしまうが、この山羊は巨大なツノが横に開いているので、周りの器具や隣の山羊同士傷つけあう恐れがある。ところが搾乳の装置を見せてもらい感心した。写真のようにツノが触れ合わないように防御板があり、しかも餌箱に首を突っ込むと目隠しされるという優れものである。よく考えられたこの装置に思わず見とれてしまった。
さて、チーズの話をしなくてはいけない。この牧場では数種類の小型のチーズを作っていたが、ほとんどはラベルもない地元消費のようである。そんな中で最近フランスのA.O.C.を取得したブルース・デュ・ロブ(Brousse du Rove)という、柔らかいチーズを試食させてもらった。その味わいは濃厚で甘く、ほのかにエルブ・ド・プロヴァンス(プロヴァンスの香草類)の香りがした。地元でなければ味わえないフレッシュ系のチーズである。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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