仔ヤギの中にチーズがあった
考古学の世界からみればチーズの歴史などは、かなり特殊で小さな世界ではないかと思われます。その証拠にチーズの歴史に関する資料は他の分野に比べると実に少ない。ま、しかし、我々は考古学の専門家ではないので、いつ、どこでどのようにしてチーズが生まれたかということが大まかに分ればいいのです。大まかといっても考古学の世界では100年単位では細かく、普通は500年か1000年単位なんですね。というわけで、いつ頃どこでチーズが生まれたかを探るには、まず人間がヤギなどのウシ科の動物を群れで管理する「家畜化」がいつどこで行われたかを知る必要があります。これは、ヒトの住居遺跡に残った動物の骨を分析すれば解るそうですが、それによれば、これらの動物の家畜化は、西アジアで紀元前7000年頃(今から9千年前)だと言う事です。
ここからは憶測の話ですがこっちの方が面白い。ヤギやなどの群れを飼っていれば母ヤギが仔ヤギを残し事故死することがある。そんな時はヒトが別の母ヤギの乳を搾ってそのみなし児ヤギに与えたとされていますが、この時に「搾乳」の歴史が始まるのです。
逆に事故死などをした乳飲み子のヤギの腹を開いてみれば、胃袋の中には飲んだばかりのミルクが白い塊になっていた。これがまさに、チーズの発見といえるでしょう。そして、ミルクを凝固させるレンネットの発見でもあるわけです。その上、この胃の中で固まった「チーズ」をミルクに加えれば、そのミルクが凝固することを発見しただろうとしています。(チーズと文明:築地書館より)。こうした憶測や状況証拠を重視することは考古学者には許されないけど、我々にとっては想像力を掻き立てる実に楽しい話ではありませんか。
さて、そこでチーズを作るときには、まずミルクを固めなくてはならないと言う事が分かりましたが、その方法は、大別すると二つあって、一つはミルクを乳酸発酵させ、その時にできる「酸」で乳蛋白を凝固させる方法。いま一つは「レンネット」と呼ぶ乳を凝固させる物質で固める方法がありますが、そのレンネット凝固について少し書いてみます。
まずは古代より行われているヤギなど反芻動物の乳児の第四胃に含まれている、キモシンという動物性のレンネットを使う方法ですが、現代では使いやすく精製した物や、微生物由来のものも使われていますが、いまでも仔ヤギや子牛の胃袋を使っている所もあるのです。2点目の写真はスイスの夏のチーズ小屋で撮影されたものですが、乾燥して油紙のようになった子牛の胃袋を細かく切って塩水に浸しキモシンを抽出しようとしている所です。
次はイチジクの樹液や朝鮮アザミ(アーティチョーク)の雄シベなどから抽出した植物性のレンネットでミルクを凝固させる方法です。イチジクの樹液が使われたのはかなり古く、紀元前8世紀のギリシャの詩人ホメロスの作品の中に「イチジクの樹液が乳液をたちまちにして凝結させる…」という表現が出てきます。現在ではイチジクはあまり使われていないようですが、その代わり朝鮮アザミの雄シベは、今もスペイン西部やポルトガルの柔らかいチーズにはよく使われているようです。
朝鮮アザミの蕾はヨーロッパでは野菜としてよく食べられていますが、レンネットにするにはこの蕾を開花させ無数に伸びてくる細い雄シベをとって乾燥させチーズの凝固剤にするのです。この雄シベを使ったスペインやポルトガルの伝統的な羊乳チーズにいくつか出会いましたが、みな側面にサラシが巻かれている。アザミのレンネットを使ったチーズは柔らかく、熟成中に型崩れを防ぐためにサラシを巻いているのでしょう。でも、真っ白なサラシを巻いたチーズは、何かイキで恰好いいですね。
©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
*禁無断転載