乳科学 マルド博士のミルク語り

人間の赤ちゃんは未熟児?

2018年8月20日掲載

人間の赤ちゃんは未熟児…?

ヒトの赤ちゃんは身体的未熟児の状態で生まれてくることをご存じでしたか?私もそんなこと考えたことはなかったのですが、言われてみるとそうなのだーと思います。多くの動物では赤ちゃんは生まれて間もなく自立し歩き始めるのに対し、ヒトの赤ちゃんが歩き始めるのは生後11-12ヶ月後です。ということは身体的未熟児なのだ、と言われれば納得せざるを得ません。
何故、身体的未熟児として生まれるかについていくつかの説があるようです。第一は、ヒトは二足歩行をするために骨盤が小さく、今以上に大きく生まれると産道を通らなくなるためと考えられています。第二は、これ以上赤ちゃんが胎内で大きくなると、母体から胎児に与える栄養を増やさなければならないため、母体が栄養不足となり母体にリスクが生じるためです。このため、胎児が成長する前に出産するとのこと。第三として、ヒトの場合は身体能力よりも脳の発達を優先しているためだそうです。出産後大量に飛び込む様々な刺激が大脳の発達に寄与しています。
ヒトの赤ちゃんが身体的未熟児として生まれるならば、他の動物ではどうなっているのだろかと思い、成獣の体重に対する出生直後の赤ちゃんの体重の比を計算してみたのが図1です。縦軸はこの比を対数で表しています。対数?そういえば、学生時代に習ったけど忘れてしまったという方もいらっしゃると思います。やさしく言えば、比が0.1ならば対数にすると-1です。対数で-2とは比が1/100ということです。
ヒトは体重50kgの女性が3kgの赤ちゃんを産みますから、3kg/50kg = 0.06で、この対数は-1.2となります。乳牛は平均650kgのメスが約40kgの赤ちゃんを産みますから、その比は0.04で対数にすると-1.4となります。勿論、成獣の体重も赤ちゃんの体重もバラツキがありますから、アバウトな数値です。しかし、図を見れば一目瞭然でヒトを含めてほとんどの動物が-1と-2の間です。つまり、出生直後の体重は成獣の体重の1/10から1/100なのです。ヒトの赤ちゃんがことさら小さいわけではありません。一方、パンダでは成獣の体重が約85kgなのに対して赤ちゃんの体重は100-200gしかありません。その比の対数は-2以下です。さらに、カンガルーでは成獣は30kgなのに、赤ちゃんは1-2gしかありません。
一方、歩行開始までの日数を調べてみると、パンダは3ヶ月程度、カンガルーでは200日、ヒトは11-12ヶ月です。つまり、ヒトの赤ちゃんは“歩行開始”という点では未熟児ですが、体重という点では未熟児ではないのです。ところが、カンガルーの場合には“歩行開始”も“体重”も未熟児だと思われます。
“ミルクは赤ちゃんの発育に必要な全ての成分を含んでいる”という前提に立てば、ヒトのミルクは歩行開始という機能を犠牲にしてでも脳の発育に必要な成分をミルクに詰め込んでいることになります。では、未熟児の代表であるカンガルーのミルクはどうなっているのでしょうか。カンガルーのミルクについては文献が少ないのですが、親戚であるワラビーのミルクに関する文献を見つけました。図2をご覧ください。ワラビーの赤ちゃんも生後200日頃までは母親の袋の中で生育していきますが、200日を超えると袋から出てきてミルクだけではなく草も食べるようになります。まるで、ヒトの赤ちゃんと同じく離乳が始まるのです。それに合わせてミルクの組成も大きく変化します。最初は脂肪やたんぱく質が少なく乳糖が多いのですが、離乳が始まると乳糖が減り、脂肪やたんぱく質が増えてきます。離乳前のミルク組成はヒトのミルクと少し似ています。ヒトのミルクも乳糖が多く、たんぱく質がやや少ないという特徴があります。たんぱく質の組成など細かな点ではヒトとワラビーのミルクには様々な違いがあるのですが、“動き回らない”赤ちゃんのエネルギー源として乳糖が大切だけど、動き回るようになると乳糖よりも脂肪やたんぱく質が重要、と考えることができます。
一方、ヒトのミルクには脳機能の発達に重要と考えられている成分(例、ガングリオシドと呼ばれるシアル酸を含む糖脂質、DHAやEPAなど魚油に多い多価不飽和脂肪酸など)を牛乳より多く含んでいます。やはり、ミルクは赤ちゃんの発育に必要な全ての成分を含んでいるのですね。ミルクってハンパない!