“月の砂漠を~、は~るばると~・・・・♪”とラクダに乗ってのんびり旅するのも憚れる、何やらきな臭いご時勢となりました。北アフリカや中近東の遊牧民は伝統的にラクダと生活し、ラクダの乳を飲んでいましたが、何故かチーズを作ることはしませんでした。しかし、最近北アフリカや中近東で製造されたラクダのチーズが販売されるようになりました。何故、これまでチーズを作らなかったのか、そして何故21世紀になってチーズを作るようになったのか、今回はそんな話題を提供してみたいと思います。
皆様もご存知のように、ラクダにはヒトコブラクダとフタコブラクダがいて、前者は主に北アフリカや中近東に、後者はゴビ砂漠の辺りで飼育されています。同じラクダでも両者のミルクはちょい違っています。表に示すように、ヒトコブラクダの乳組成はウシのそれとよく似ています。一方、フタコブラクダの乳組成は、ヒツジに似ています。フタコブラクダの乳は脂肪やたんぱく質濃度が高く、チーズ作りには向いていると思われます。実際、ヒトコブラクダからチーズは作られなかったのですが、フタコブラクダを飼育しているモンゴルの一部では、ラクダ乳を飲用するのではなく、自然発酵させた後に加熱濃縮した酸・加熱チーズ(モンゴル語でaaruul)を作っていたようです。野草などを加え、ドーナッツ状に成型したものを戸外に吊るしていると石井先生の論文(ミルクサイエンス、55: 79-84, 2006)に記載されています。
ヒトコブラクダ乳からチーズを作る試みは昔から行われていました。しかし、ラクダ乳にウシレンネットを加えただけでは凝固しないそうです。牛乳では5分間で凝固する量のウシレンネットをラクダ乳に加えても凝固せず、10-15分後に凝集物が得られるだけです。この原因は、ウシレンネットはラクダκ-カゼインを切断せず、ウシレンネットに含まれているペプシンでカゼインが切断されるためと考えられています。図に示すように、ウシレンネットはウシκ-カゼインの105番目にあるフェニルアラニンと106番目にあるメチオニンの間を切断しますが、ラクダレンネットはラクダκ-カゼインの97番目に位置しているフェニルアラニンと98番目のイソロイシンの間です(Kappeler et al., J. Dairy Res., 65: 209-222, 1998)。このアミノ酸の違いで、ウシレンネットはラクダκ-カゼインを切断できないのです。
そこで、様々な工夫が行われ、ラクダ乳の凝固に適した凝乳酵素が開発されました。一つは商品名”Camifloc”と呼ばれる凝乳酵素で、植物性凝乳酵素にリン酸カルシウムを混合したもの、もう一つがラクダから抽出したラクダレンネットを遺伝子組み換えで作らせた純粋なラクダキモシン(商品名 FAR-M)です。(通常、レンネットにはκ-カゼインを切断する役割を担ったキモシンの他にもカゼインを部分分解するペプシンが少量混在しています。キモシンこそが凝乳活性の本体です。)
Camiflocで作ったチーズは全固形42-43%程度のソフトチーズで、塩味と酸味があり、臭いがやや強く、約半数の人がまあいけると評価したそうです(El Zubeir & Jabreel, Int. J. Dairy Technol., 61: 90-95, 2008)。一方、FAR-Mの凝乳活性は、ウシレンネットに比べるとはるかに高いのですが、カードの硬度は牛乳カードより低く、ソフトタイプに適しているようです(Kappeler et al., Biochem. Biophys. Res. Commun., 342: 647-654, 2006)。
フェルミエのメールマガジンに、モーリタニア産の白カビタイプのラクダチーズを試食された方の感想が書いてあり、特段の個性がなかったそうです(Vol99, 6月18日、2002)。この方の感想や論文に書いてある官能評価結果を読む限りでは、ラクダチーズには物珍しさはあっても積極的に食べたいという気にはなれませんよね。しかし、FAR-Mはラクダ乳だけではなく、馬乳やロバ乳でも使えるそうで、これまでチーズが作られなかった馬やロバのチーズを製造できるそうです。チーズラバーとしては、そんな珍しいチーズもかじってみたいものです。