フロマGのチーズときどき食文化

パンのみにて生きるにあらず

2017年3月19日掲載

菱形になったクロワッサン

クロワッサンという三日月型のパンがありますね。厳密にいうとお菓子(パティスリー)の範疇だとラルース料理百科はいっていますが、パンということにしておきます。このパンの形にはいわれがあるのです。17世紀も後半のこと絶頂期を迎えたオスマントルコ帝国の軍隊にウイーン(ブタベストという説も)が包囲された時の事。堅固な城壁に阻まれたトルコ軍は、夜になると密かにトンネルを掘り始める。早起きのパン屋がその音を聞きつけて通報しトルコ軍は撃退される。その功績によってパン屋はトルコの国旗の紋章である三日月型のパンを売る独占権を与えられたとか。クロワッサン(Croissant)とは三日月という意味がある。このパンをフランスに伝えたのがオーストリアのお姫様だった、かのマリー・アントワネットだった、などなど真偽はともかく様々なエピソードを持つパンなのです。ところがですね、このパンが近頃は三日月型ではなくなった。東京のパン屋さんを見て歩いたけど、大方はひし形になっている。この2月にパリのパン屋さんも見たけどひし形が多かったのです。昔はみな三日月型だったと思いますが、どうしたことでしょうね。

マリー・アントワネット像

パンの歴史は古代エジプト時代にさかのぼりますが、発酵パンが作られるのはもっと後になります。旧約聖書の「出エジプト記」に種入れぬパンという記述がある。この出来事は紀元前13世紀頃といいますから、もうこのころから発酵パンが作られていたのです。

ブリオッシュ

キリスト教にとってパンは象徴的な意味を持っていて、聖書にたびたびパンが現れる。このコラムの表題はイエス・キリストの言葉の前段です。古風な文体で記せば「人はパンのみにて生きるにあらず・・」で始まります。大方の日本人はこれを読むと、なるほどと本来の意味と違った納得の仕方をする。ある人はソクラテスの「食べるために生きるな、生きるために食べよ」と同じような意味にとる。でも、このイエスの言葉の後段を読めば、キリスト教を知らない日本人は意味が解らなくなるのです。知りたい人は新約聖書の「マタイによる福音書」の4章を読まれたい。これは悪魔とイエスの対話の一部なのです。
とはいえパンがなければ生きていけない。1789年パン不足に怒ったパリの女たちはヴェルサイユ宮殿に「パンよこせ!」のデモをかけた。その時マリー・アントワネットは「パンがなければブリオッシュを食べればいいのに・・(フランス食卓史:人文書院)」といったとか。かくしてフランス大革命がおこり彼女は夫のルイ16世とともに断頭台に上る。

フランスの広大な麦畑

フランスはヨーロッパで第一のパン食い民族といっていいかもしれません。何しろ国の70%は耕作可能地という農業大国で、刈り入れ時を迎えた広大な麦畑の眺めは圧巻で、ここから収穫される良質な小麦から、大量のパンが作られています。代表的なパンといえばバゲット。大きさによって呼び名が違うけど、小麦粉と塩と水、それにイーストだけで作られます。このパンは、日本でいえば炊き立てのご飯のようなもので、食事ごとに焼き立てを買ってきて食べる。旦那さんがパンを抱えて町を歩く姿が、今でもよく見られます。最初にフランスを旅した1970年代はホテルの朝食はバゲットにバターとジャム、それにどんぶり一杯のカフェ・オー・レ、それだけだった。いまではクロワッサンやハムなども出されます。豊かになったのですね。

フランスのパン屋さん

フランスのパン屋さんの写真をとって気が付いたことは、日本のパン屋さんの方が圧倒的に種類が多いことです。フランスでは主食となるがゲット類が大きなスペースを占めているけど、日本はペストリーをはじめとする菓子パンが圧倒的に多いのです。パンとお菓子の境目がない。その多様さには目を見はります。それに常時新作が売り出されている。

さて、米が主食とされる日本のパン事情はどうでしょう。やや古い調査ながら、日本人は40%もの人たちが朝食にパンを食べているようです。半世紀余りにこれほど、朝に食べるものを変えた民族は少ないでしょうね。今や日本人は「飯のみに生きるにあらず」というところでしょうか。