世界のチーズぶらり旅

スポーツカーとワインヴィネガーの町で

2015年10月1日掲載

イタリアの中部、アドリア海に面した港町リミニから北西に直線で270kmピアチェンツァまで伸びるエミリア街道は2千年前にローマ人が作った。ポー川が開いた広大な平野の南側のヘリを一直線に貫いている。この街道をたどってみれば、イタリアを代表する美食の産地が連なっていて、筆者はひそかに美食街道と呼んでいる。チーズでいえばご存じパルミジアノ・レッジアノやグラナなどイタリアを代表するものがあり、そのホエーを与えて育てたプロシュート・ディ・パルマ(生ハム)があり、日本風に言えばボローニャソーセージ(モルタデッラ)や日本のミートソースのもとになったボロネーゼなどがこの街道の旅を彩る名物である。そしてその北には究極の生ハムクラテッロがある。

里帰りしたフェラーリ

エミリア街道をローマ方面からたどると、古都ボローニャ、モデナそしてレッジョ・エミリアと続く。その中の古都モデナに旅した。この町には高い建物はなく古い石造りの家は暖かい色合いに塗られた静かな街である。しかしホテルに着いて驚いた。正面玄関の両側に赤や黄色のフェラーリが十数台も整然と並んでいるのである。車音痴の筆者でもこれはただならぬ光景だと気が付いて写真を撮った。聞けばドイツのフェラーリクラブの面々の車だという。近くにフェラーリの本社があり、そしてその創始者はモデナの出身なのである。これらの車はドイツから里帰りしてきたというわけだ。

本物の公爵様の酢

モデナは、隣のレッジョ・エミリアと共に、知る人ぞ知る高級ワインヴィネガーの産地である。この地域は歴史的にはエステ公爵が納めるフェッラーラ公国だった。モデナの北方にある世界遺産の町フェッラーラが主都で、15世紀、衰えを見せ始めたとはいえ、フィレンツエ、ミラノ、ヴェネツィアなどの大国に囲まれていたこの公国は、卓越した外交手腕が求められた。そこで、エステ家は音楽家をはじめ芸術家を保護し、ルネサンス後期にはヨーロッパで最も洗練されたとわれる宮廷文化を作り上げた。そこでは、連日洗練された豪華なバンケット(宴会)が開かれ、富と洗練された文化を誇示し、大国との良好な関係を築こうと努めた。しかし、その甲斐もなく、やがてエステ家の領土の大部分はローマ教皇に召し上げられ、歴史の舞台から消えていく。16世紀初頭の晩餐会のメニューが残っているが、その中にパルミジャーノが入っている。フランスの晩餐会ではチーズは全く見られない。

バルサミコ酢の熟成

ワインヴィネガーに話を戻せば、アチェート・バルサミコと呼ばれる酢は、エステ家の領内で11世紀頃から作られ、近在の貴族の間で数百年もてはやされてきた。しかし、貴族社会が消滅し、時代が進むにつれ減少の一途をたどっていた。ところが1970年代に「新フランス料理」がブームになると、イタリアのシェフ達も新素材を求める。そして、この古典的なヴィネガーに出会う。にわかに脚光を浴びたこのヴィネガーを、お手軽な手法でそれらしい製品を作る生産者が現れ、それらがアチェート・バルサミコの名で大量に出回るようになった。本物は煮詰めた果汁を小さな木の樽で発酵と熟成を行い、1年ごとに他の樽に移し替えながら、数年、或いは数十年熟成させる。現在では、伝統製法の本物には、アチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレというDOP名称が与えられている。これこそ、アチェート・デル・ドーカ(公爵の酢)とも呼ばれる、高貴なる酢なのである。この辺りではパルミジャーノにもバルサミコをかけて食べる。

パルミジャーノにバルサミコ

バルサミコの見学を終えて、モデナに帰りチーズの取材をすべく市内の市場に出向いた。様々な珍しいチーズを撮影したあと、ふと、パンのコーナーに立ち寄ると4本足のカニのようなパンがあった。少し気になったので買い求めた。なかなかおいしいパンだったのだが、帰国して調べてみて驚いた。このパンはパーネ・フェッラレーゼといい、なんと500年前フェッラーラ公国の首都で売られていたパンだったのである。

フェッラーラ公国のパン