皆様、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、今年は酉年です。「酉」は「とり」と読みますが、本来はどんな意味なのでしょうか。辞書を調べると、「酉」は音読みでは「ゆう」とよみ、語源は図1に示すような液体を入れる器の象形文字です。つまり、本来は容器の意味なのに、何故「とり」と読むのでしょうか。
いろいろ調べてみると、十二支を庶民に定着させるために、誰かが動物と対応させたと説明されています。「酉」は十二支の10番目なので、“じっくり時間をかけて使える状態になる”という意味を持っています。なので、“じっくり時間をかけて飲めるようになった水”が「酒」なのです。
であるならば、寄席や紅白歌合戦で「とりを務めるのは〇×さんです!」も「とり」は最後に出場する人で、じっくり時間をかけて機が熟してから登場するのですから「酉をとる」と書くのかな、と皆さんもお思いになるかと思います。が、残念ながらそうではないようです。“最もお金を取れる人”のことを「取」と言うそうです。
“じっくり時間をかける”という意味からすれば、発酵、濃縮、乾燥といった工程が該当します。すなわち、乳製品の多くが“じっくり時間をかけて”作られます。だからこそ、「酪」農なのです。
では、「酪」の本来の意味は何でしょうか。図2に示すように、酉と各から成りますが、「各」は“上から下に向かう足”の象形と“口”の象形が合体したもので、“高い所から足を下向きにして降りる”という意味で(角川 大字源)、そこから“神霊が降りてくるのを祈る”を意味するようになったそうです。
酉の語源 酪の語源
一方、「涅槃経(ねはんきょう)」に出てくる「酥(そ)」の禾はイネなど穀物が実を垂れている形を表します。したがって、「酥」は“じっくり時間をかけてイネの実が垂れるように柔らかくなったもの”ということになります。
ところが、「斉民要術(せいみんようじゅつ)」では「蘇」と書かれ、「延喜式」では「蘓」という字が使われています。「蘇」と「蘓」は同じ意味で、魚とイネという全くの別物が並んでいます。無関係のものが並んでいることから“隙間がある”→“息ができるようになる”→“よみがえる”という意味になったそうです。したがって、「蘇」と「蘓」は“隙間があり、サクサクと歯切れのよい”ものです。「酥」、「蘇」、「蘓」は同じもので、誰かが書き間違えたという説と「酥」と「蘓」や「蘇」は別物との説があります。字の意味からすれば「蘇」は“柔らかくて歯切れがよい”のか、“柔らかくはないが、サクサクとして歯切れがよい”のか分かりません。また、昔の人が感じた“柔らかいもの”と“すかすかの隙間があって歯切れがよいもの”は同じなのか、違うのか分かません。現代の日本語でも、チーズの官能評価を行うと、“やわらかい”、“ねちゃねちゃしている”、“サクサクしている”といった言葉は人により受け取り方が異なります。同じような混乱があったのかもしれません。
さて、平田先生がお書きになった、発売ホヤホヤの「デーリーマンのご馳走」という書籍(デーリーマン社)によれば、乳加工が発明された西アジアには「ラバン」(ヨーグルト)や「ラブネ」(ドライヨーグルト)と呼ばれる乳製品があります。インドには「ラブリー」と呼ばれるゲル状で皮膜状の濃縮乳が、さらに皆様もよくご存じの「ラッシー」があります。また、チベットではバターミルクを加熱しホエイを除いた凝固物を「ラボ(lapo)」と呼びます(平田昌弘、New Food Industry 53(10): 65-74, 2011)。
ヨーロッパでは、乳のことをラテン語で「ラク(lac)」、フランス語では「レ(lait)」、イタリア語は「ラッテ(latte)」、スペイン語では「レッチェ(leche)」と言います。英語ではミルクですが、乳酸はlactic acid、主要なホエイたんぱく質はβ-ラクトグロブリンだし、ラクトで始まる言葉は沢山あります。そして、中国では「酪」をラオと発音するそうです。
乳加工技術は西アジアで発明され、ヨーロッパやアジアに伝わりました。
「ラなんちゃら」という呼び方が各国に残っているのは乳加工技術の伝播を物語っているのでしょうか?それとも単なる偶然・・・?酉は方位では西を意味します。西アジアではまず乳を酸乳に加工しました。したがって、もし「ラなんちゃら」という言葉が乳加工技術とともに伝播した足跡だとすれば、「酪」とは“西方から伝わった、おいしくな~れと神に祈りながらじっくり食べ頃になるまで待って作る酸乳”と解釈することができます。大昔の人がいかに乳製品を大事にし、心を込めて作っていたかが想像されます。どうです?皆様も「酪」の文字から壮大な歴史ロマンを感じませんか?