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乳科学 マルド博士のミルク語り

ミルクサイエンスの衰退

2026年6月20日掲載

私のかすかな記憶によれば、1970年代中頃までは、日本の大学で農学部(今は農学部と呼ぶ大学はめちゃ少なくなりましたが・・)にはカゼインや乳製品の研究などのミルクサイエンスに取り組んでいる研究室が多数ありました。細野明義先生の報告(酪農乳業史研究 no16,p12,2019)ではカゼインの性質、分解・栄養、凝固変性などが主な研究テーマでした。私の記憶でもカゼインミセルやカゼインの性質、乳脂質、チーズの熟成、分析技術など様々なテーマが研究され、その成果は乳製品の製造、品質、おいしさ向上などに貢献していました。しかし、2000年以降このようなミルクサイエンスの研究報告が減少したと感じます。何故衰退してしまったのでしょうか?個人的な考えですが、その原因を考察してみます。

第一に、研究方法が行き詰まった点が考えられます。カゼインミセルの構造について様々なモデルが提案されました。”真実はいつもひとつ!“なのですが、未だに詳細は分かっていません。カゼインの物理的、化学的な性質についても数多くの報告が発表されていますが、一次構造(アミノ酸配列)以外は仮説の段階に留まっています。チーズやヨーグルトの製造技術についても、カゼインミセルの構造や詳しい性質がはっきりしていないので、革新的な新技術が生れていません。例えば、脱脂粉乳を原料としたチーズの製造が可能になれば、脱脂粉乳の過剰滞貨問題が少しはよくなるのですが・・・。また、先日「ポツンと一軒家」にてヤギ牧場を一人で開拓し、ヤギ乳からヨーグルトを製造して生計を立てておられるご夫婦が紹介されていました。ヨーグルトの製造工程も放映されたのですが、殺菌工程はカットされていたことにお気づきになりましたか?これはヨーグルトの物性に殺菌条件が大きく影響するためで㊙にされているためと推測しています。殺菌条件によるホエイたんぱく質の変性状態に関する詳細については不明なのです。今や月や火星にロケットを飛ばし、そこの無機物や有機物を分析できる技術があるのに、牧場でのんびり草を食んでいるウシのミルクに分散しているカゼインミセルやカゼイン集合体の詳しい構造や性質が分かっていないのは何とももどかしい限りです。

第二は特定保健用食品の制度化ではないかと思います。保健機能が科学的に証明された特定成分を含む食品について保健機能を表示できる制度です。その食品の効果をヒトで示し、国に申請して認められる必要があります。この制度は1991年からスタートしました。食品企業や大学が飛びついたのはいうまでもありません。方法論的には医薬品の開発とほぼ同様で、行き詰まっていた食品サイエンスの研究室は食品に含まれる健康機能がある成分の探索分離、精製技術の開発、そして健康機能が知られている成分について医薬品開発と同様な研究をやり始めました。学生の人気が高く、研究の主力実戦部隊を担う学生が集まり、科研費や企業からの研究助成金などが増えました。研究設備もマウスやラットを飼育できる設備は必要ですが、高額な分析装置は必要ありません。このため、カゼインの性質に関する研究報告は減少し1970年代には140件ありましたが、2020年以後はわずか10件に減りました(青木孝良、ミルクサイエンス 、2024)(図参照)。

乳・乳製品および乳酸菌の健康機能に関する研究も重要で疎かにするわけにはいきません。ところが、乳、卵、大豆など栄養価が極めて高く、栄養素密度(注、その食品100kcal当たりの各栄養素の量。摂取量が少なくても必要な栄養素を接種できる)が高い食品の場合は、健康機能をもたらす成分を特定することが難しいのです。例えば、“牛乳は骨を丈夫にします”と訴求したくても関与する成分はカルシウム、たんぱく質、ビタミンKなどが含まれているので、どの成分を特定機能成分とするか、そしてその成分が他の成分と作用機作が異なることを証明しなければなりません。なので、その成分について化学的、生物学的な機能について動物細胞やラットやマウス、さらには多数のヒトを使って調べることになります。乳製品の場合、乳酸菌の働きを調べることが増え、乳酸菌の健康機能に関する研究が一気に進展しました。その一方で、カゼインや乳脂肪などの製造技術に関連した研究は少なくなってしまいました。

そもそも乳・乳製品そのものの健康機能効果については古くから研究され、特に海外では数多くの報告があり、メタ解析の結果でも有益であることが示されています。ただ、日本では乳・乳製品の健康機能に関する大規模実験が少なく、しかも乳脂肪=悪者との考え方が医療関係者でも未だに残っており、乳・乳製品はヘルシーではないと考える消費者も多数います。

しかし、最近ふたたびカゼインの基礎的な科学に関する研究が復活する兆しが見えてきました。例えば、2024年の酪農科学シンポジウムでは中性子小角散乱法を用いたカゼインミセルの構造解析、画像解析法を用いた凝乳過程の解析、カゼインとホエイたんぱく質の加熱変性などの発表がありました。今後が期待されます。


「乳科学 マルド博士のミルク語り」は毎月20日に更新しています。

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