乳科学 マルド博士のミルク語り

それってあたりまえ?

2025年1月23日掲載

11月16日に豊洲公園で開催された「土日ミルクフェス」に行き、ブラブラしていたら岩泉乳業のブースで岩泉ホールディングスの山下欽也社長がお書きになった『あたりまえという奇跡 岩手・岩泉ヨーグルト物語』という書籍(岩泉ホールディングス、2023)が置いてあり、面白そうだったので購入しました。さっそく、パラパラめくっていると、「あたりまえであると思っていたひとつひとつのことを、あたりまえではないと気が付けたときに、奇跡は起こるのかもしれません。」という文章が飛び込んできました。
岩泉は酪農が盛んな岩手県のなかでも最も酪農が盛んな地域ですが、牛を飼い搾乳するだけではなく六次産業化が必須と考え、会社が設立されました。しかし、良質な生乳から牛乳を生産しても販売先が少なく、赤字が続きました。そんな中でヨーグルトの生産に取り組みました。
岩泉乳業におけるあたりまえがあたりまえでなかったことは、当時日本には多くの乳業メーカーがヨーグルトを製造・販売している中で、新たにヨーグルトを製造販売してもスーパーには置いてもらえないというあたりまえです。しかし、ホテルの朝食バイキングでヨーグルトを提供する場合、家庭用ではいちいち蓋を空けて器に盛るのは面倒だということを知り、アルミパウチに充填した大型ヨーグルトを業務用として発売しました。これが評判となり、業務用だけではなく家庭用としても広まるようになり、大谷祥平をして世界一おいしいと言わしめるヨーグルトとなったのです。


そうなのです。私も同様の経験をしたことがあります。αS1-カゼインはカルシウムで沈殿することが当たり前ですが、沈殿しない場合があります(本コラム、2020年10月20日)。ホエイたんぱく質のひとつで様々な健康機能が知られているラクトフェリンは加熱すると沈殿しますが、pHやイオン強度の条件を選べば加熱しても沈殿しない場合があります(本コラム、2022年8月20日)。これらが奇跡かどうかは分かりませんが、乳科学における進歩だと考えます。

チーズ界においても、おいしいチーズを作るには広々とした牧場に牛を放牧し、おいしくて栄養豊富な牧草を与えて育てると、良質で土地に特有の風味のある牛乳が得られ、それを原料にして作ったチーズは美味しくて、土地に特有の風味をしたチーズが得られるのは当たり前です。でも、世界的な気候変動により乾燥地域が洪水被害に見舞われ植物の生育が変化したり、日本でも野菜の収穫が影響を受け収量が減少しています。牧草の生育にも影響がでると乳質にも影響が及びます。当たり前が当たり前ではなくなります。それに対する対策は検討されていますが、優れた対策を考案できればおいしい牛乳が得られ、これまでどおり、あるいはそれ以上のチーズを作ることができるかもしれません。
一般的にチーズは生乳、あるいは低温殺菌した乳からチーズを作ることが当たり前ですが、乳等命令では脱脂粉乳やバターなど乳製品を原料としてチーズを作ることも認められています。しかし、残念ながらチーズに適したカードは作れないのが現実です。乳製品からチーズを作る技術開発は一部の大学で鋭意行われていますが、未だ研究途上です。これが成功すれば当たり前が当たり前ではなくなり、脱脂粉乳の過剰在庫問題が解消されると考えられます。

 


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