世界で最も大量のチーズを造っている国といえばアメリカという事になるけれど、アメリカのチーズを知る人は少ない。そこで、ヨーロッパでの生産高の順位はドイツ、フランス、イタリアの順になっているけれど1位のドイツ・チーズの名を知っている人も少なそうだ。だが、生産量は2位といえども、種類が多く地方によって様々なタイプのチーズを産するフランスは一筋縄ではいきそうにない。それでも、C.P.A.の会員ならば相当の知識を持っている人が居そうである。そこで、今回は意地悪くフランス・チーズの中で最も話題になりそうにもないチーズの現場に行って見よう。
フランスの南部には東西に連なるピレネー山脈が一直線に走り、この山がスペインとの国境になっている。この山脈は東西に4百km続き中央部には3千m超の嶺が3座ほどある。けれどこの山脈は西の大西洋に近い地域に行けば山波はなだらかになりビスケー湾に落ち込んでいる。スペインとフランスの国境にあるこの辺りをバスク地方といい、古くから特有の言語を持つバスク人が住んでいる。日本にキリスト教を伝えたザビエルもこの地域で生まれたバスク人だ。といっても、日本ではこの謎の民族の事を知る人は少ない。だが、この民族のファッションで誰もが知っているものがある。それはベレー帽である。
ある年の初夏、このピレネー山脈の西にあるフランス側のバスク地方でひっそりと作られているというA.O.P.チーズ訪ねた。パリから飛行機でフランスの南西部あるアンリ4世の生地のポー(Pau)という町に飛び、そこから車でピレネー山中のバスク地方を目指した。
フランスにはチーズの名産地が隙間なく分布しているように思っていたけれど、この西南地域にはチーズの産地はあまりない。ピレネー山脈の中央から流れ出るガロンヌ河が広大な平野を開きながら北西に流れ下り、ボルドーというワインの産地を作り出す。そしてその南西の開かれた草原には、フォワ・グラを採るガチョウの群れが放たれ、バスの行く手をはばむ。そんな道をピレネー山中に向かい登ってゆくとやがて、小さな谷川の湧き出し口にある「源流の宿」という名の一軒家に着いた。荷物を置いて外に出ると、周りの急斜面の放牧地には牛や羊達が放たれ人の姿は全くない。そんな小道に2匹の仔山羊が飽きもせず、お互いに生え始めた角を突き合わせて、じゃれ合っていた。
山のチーズ造りは早朝から始まるので日の出前に宿を出る。急斜面に付けられた七曲りの山道を車で登っていくと、途中で何度も羊の群れに車を止められた。搾乳を終えて放牧地に向かう羊達だ。少し焦ったけれど、やっと訪問先の小屋に到着。すでにチーズの仕込みが始まっていたので、挨拶もそこそこに写真を撮り始める。このチーズ小屋には若夫婦と小さな男の子が住み込み、初夏から秋口まで山地放牧された羊の乳からオッソー・イラティと呼ぶA.O.P.指定のチーズを毎日4コ作っているという。だが、山小屋での夫婦2人だけの作業は、われわれ見学者が行っても一時の休む暇もない。我々はただ、じっと仕事を見ているだけで時が過ぎていく。昼近くになり羊乳のカードがプレス器にかかり、ご主人の手が空いた時には、すでに我々が下山する時間が来ていた。急いでミニバスに乗り曲がりくねった道を下って次の訪問先のサン・ジャン・ピエ・ド・ポールという、昔、小さな王国があったという村に降りていった。かつてこの村には、作家の司馬遼太郎氏がザビエルの足跡を辿って訪問された古い村であった。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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