世界のチーズぶらり旅

トスカーナの古城でキャンティ・ワインとチーズの午餐会

2022年4月1日掲載

① 古城のテラスから見たキャンティ地区の風景

キャンティ・ワインといえばイタリア中部のトスカーナ地方の銘酒だが、そこは、その地名の通り紀元前9世紀頃、中東からやって来たトスカーナ人がいくつもの都市国家を築いたところである。地中海に面したこの地は気候も比較的穏やかで、ゆるやかに波打つ大地にはぶどう畑やオリーヴ林が連なり、所々に濃い緑の糸杉の鋭いシルエットが見える。こうした美しくも穏やかな自然の中に遠い歴史を秘めたこの地には、世界中から移り住む人が多く、何人かの日本人もこの地で暮らしレポートを書いている。イタリア中を旅した作家の村上春樹氏もこの地を愛し、とりわけこの地方のキャンティ地区ならば家を買って住んでもいいと、エッセイ集「遠い太鼓」に書いている。

② 千年の歴史があるといわれるニッポツアーノ城

少し古い話になるが、1970年代あたりから日本にワインブームが来て、ワインを輸入するという会社の販売用のリーフレットなどの制作を任された私は、ひと月の休暇を取り資料を求めて一人ヨーロッパのワイナリーめぐる旅に出た。その時に初めてこのトスカーナの州都、フィレンツェにやってきたのである。そして、街なかの取引先の事務所に立ち寄ると社員らしき若い人が車を運転しキャンティ地区のワイナリーまで案内してくれた。後で知ることになるのだが、このワイナリーの主は千年の歴史を持つといわれるフィレンツェの名門、フレスコバルディ侯爵家で、まだ若い兄弟が2人で古城が2つもある広大な土地でワイナリーとオリーヴ園を経営していたのであった。そして、一日私を案内してくれたのが、まだ若かったこの侯爵家の次男坊だったのである。広いワイナリーを車で走っていると、出会う人はみな「侯爵様!(多分)」と声をかける。そして広大な葡萄畑の中に建つニッポツアーノの古城にあるワイナリーで日本に送られてくるキャンティ・ワインの試飲をしたのである。

③ 古城のなかのレセプショルーム

あれから何年経っただろうか。21世紀になってまもなく、チーズのシュヴァリエの会の日本支部が企画したイタリアチーズをめぐる旅に応募すべくそのスケジュールを見て驚いた。なんと30年以上前に訪れたキャンティ地区のあのニッポツアーノ城のレセプションルームで午餐会を開くことになっているのだ。私は古い資料をひっくり返し以前訪問した時に撮ったフイルムを探し、どうにかその時の写真を数枚発見した。その中には当時30代の後半と思われる若社長の写真と、私を二つの古城と葡萄畑とオリーヴの木が茂る広大な領地を案内してくれた、当時社長の弟だった人の写真を見つけることができた。そんなわけで、30数年ぶりに訪れるワイナリーの訪問に期待が高まったのである。

④ トスカーナのチーズの盛り合わせの一つ

21世紀も早や10年になろうとしている初夏に、ローマから車でトスカーナの風景を楽しみながら北上してフィレンツェに宿泊。翌日キャンティ地区に南下し、チーズの工房などを視察した後、午餐会に参加するためこの公爵家の古城を訪れたのである。私は城に近づくにつれて胸が高鳴った。その歴史は千年といわれるこの小さな城郭は、ぶどうやオリーヴの畑を見下ろす小高い丘の上にあるのだが、坂道の下から眺める古城の風景は全く変わっていなかった。しかし、内部はレセプションルームとして、ホテル並みに整備されていたのである。見学の後はこの城と同名のニッポツアーノというキャンティ(D.O.P)を飲みながら午餐会は始まったのだが、この時出されたチーズが楽しかった。立食式のパーティだったが直径30cmほどの木製のプラトーに、種類の違う3~4種類のチーズを美しく盛り付けたものが各テーブルに並んでいて、ワインとのコラボレーションを充分に楽しむことができた。さて30数年前にお会いした、侯爵家のご兄弟はすでに60代も中半を過ぎ、初対面の時の社長は引退され、私を車で広大な領地?を案内してくれた弟さんが社長に収まっていた。もちろん私の事など覚えていない。そこで持参してきた30数年前の古びた写真を進呈すると、その時の自分の写真を見てとても驚き、お礼にとこの領地で産する最高級のオリーヴ油のセットを進呈してくれたのであった。

⑤ 巨大なパスタ・フィラータという名の名物チーズ

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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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