世界のチーズぶらり旅

アナトリア半島の白いチーズを追って

2021年11月1日掲載

①:ヒツジの群れを追って遺跡の中をゆく遊牧民

アナトリア半島といってもわかる人は少なそうだが、現トルコ共和国の大部分がこの半島にある。そして、この地には古代より様々な民族が往来し国を作っては去っていった。そして最後にやってきて国を建てたのは、中央アジア出身の騎馬遊牧民族のトルコ人で11世紀後半の事であった。この様に複雑な歴史を持つ半島に、今はどんなチーズが生き残っているのか。日本にはトルコのチーズに関する資料はまことに少ない。最近の日本のトルコ大使館発行のチーズの資料にはこんな風に書かれている。「チーズ発祥の地はアジア説が有力。モンゴル族は紀元前3世紀頃から家畜の乳を加工し利用する文化を持っていたが、それがトルコを経てヨーロッパに伝わった(諸説あるが)」と。これはチョットひどい。「チーズと文明:築地書館」にはこの半島でのチーズの痕跡は紀元前6500年まで遡れるとしているが、とりあえずトルコのチーズに触れるには現地に行って見るしかないと思い立ち少数の同行者と共にトルコに向けて飛び立ったのだが、出発直前にトルコ国内で事件が発生し入国が制限された。仕方なく乗り継ぎ先のパリにと留まり、パリのチーズぶらりという最悪の事態になったのである。

②:ホテルの朝食で食べた7種類のチーズ。

その後、面倒なことはやめにして季節のいい時に一人でトルコ周遊の旅というツアーに便乗しイスタンブールに飛んだ。これが正解であった。まずはイスタンブールに一泊したのだが、翌朝早くホテルの食堂に降りて行って驚いた。大皿に盛られた様々なチーズとヨーグルトのお出迎えである。その量と種類は半端ではない。これからの旅に期待が持てた。観光が目的の同行の日本人達は、チーズなどには関心がなく、チーズをチョイスする人は少なかった。この時に出されたチーズはすべてフレッシュ系だったが、これ幸いとばかりに時間をかけて7種類のチーズを選んで食べ、写真を撮った。(写真②)。朝食が終済むとすぐに出発だ。

③:地方都市のスーパーのチーズ売場

ツアーのコースは型通りイスタンブールからエーゲ海沿いに南下、最初の人気の遺跡は、例の巨大木馬で知られるトロイの遺跡だ。チーズに関係なさそうだが、トロイ戦争とその後を描いた「イリアス」や「オデュッセイア」で知られる紀元前8世紀頃のギリシャの詩人ホメロスは、このエーゲ海沿いで生まれたとされる。そして、この作品の中にはエーゲ海の孤島に住む一つ目の巨人が洞窟でチーズ作るシーンが登場するのである。トロイからさらに南下し、エーゲ海沿いで最も大きな町クシャダスがその日の宿泊地だ。近くには遺跡が多くクレオ・パトラの妹、アルシノエの墓もあるというが私はまずチーズである。この町を歩き回り大型スーパーを探し当てチーズがぎっしり詰まったショーケース(写真③)の写真を撮ることができたのだが、その後、内陸の道中に出合うチーズは同じ物ばかりでがっかり。最後は出発地のイスタンブールの市場に望みをかけたのである。

④:イスタンブールの市場のチーズ店

イスタンブールに着くと、食材や生活雑貨が多いといわれるエジプシャン・パザールに向かったが、そこはどこの国にでも見られるように、通路にはみ出さんばかりに商品を並べた路地があって、その一角には小さなチーズ店が軒を連ねたエリアを見つけた。店同士が近いので、ていねいに写真を撮ったが、大きなフレッシュ系の白いチーズ(BEYAZ:ベヤーズ)ばかりで種類が少ないが、産地ごとに並んでいた。客は必要な量をカットしてもらい買い求める。

⑤:かつては皮袋で熟成させたトゥルム・ペイニリ

前出のトルコ大使館発行の資料によれば、トルコの食卓に並ぶのは6割がこの白いチーズだと書いている。その他、かつては遊牧民が皮袋に詰めて発酵させたという伝統的なトゥルム・ペイニリというチーズも紹介している。トルコ国民の一人当たりのチーズ消費量は、ある統計では24位と下位にランクされているが、これまで見てきたようにチーズの種類は少なそうだが、食卓に出される頻度や買われるボリュウムから見ても消費量はもっと多そうである。

 

 


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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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