フロマGのチーズときどき食文化

王侯貴族が愛したチーズBrieの物語 

2021年2月15日掲載

1.マルヌ河畔のモーの町

パリの東に広がる平原を古くからシャンパーニュ(Champagne)地方と呼ばれていますが、シャンパーニュとはフランス語では、石灰質土壌の平原を表す意味があり、フランス各地に同じ地名が複数あります。しかし、ここの地名は世界的に知られる発泡ワインのシャンパーニュ(シャンパン)の名前にもなっているのでややこしいのですが、この地方のチーズはといえば白カビで大型のブリ(Brie)を挙げなくてはなりません。というのはブリはチーズとしては珍しくパリの王侯貴族に愛されてきたチーズなのです。

2.カードのカッティングはサーベルで

フランスでは古くから地方ごとに様々なチーズが作られてきましたが、チーズの輸送は馬車だったので傷みやすいソフト系チーズの輸送はむずかしく、パリで地方のチーズを入手することは困難だったのです。従ってパリのような大都会では、店には数種類のチーズが並ぶのがやっとでした。19世紀の作家ゾラの「パリの胃袋」にでてくる市場のチーズ売場は悪臭の元凶として描かれている程なのです。でもブリの主産地だったモー(Meaux)の町はパリに近く運河を使って運ぶことで、ソフト系のブリでも品質を落とすころなくパリへ速やかに届けることができたのです。このモーの町はパリの東わずか20kmのマルヌ河畔にありブリ・ド・モーというチーズの原産地名になっている町ですが、以前この王族たちに愛されたブリを取材するため、このモーの町を訪ねた事があります。

3.生まれたてのブリ・ド・モー

ここで、話は大きく変わります。パリからこのモーの町を通って東方100kmほどの先のシャロンという町に通ずる街道が走っていますが、1791年の6月この街道をルイ16世と王妃マリー・アントワネット、そしてその子供達を載せた8頭立ての豪華な馬車がモーの町を通り抜けシャロンまで行ったとする記録がある。そして、それから様々ないきさつの末に、この旅の最後にルイ16世が庶民の家でチーズとワインを所望したとあるのです。でもそこにはチーズ名は記されていない。そこで、筆者はこの旅を機にその事を現地で確かめようとモーの町に入ったのでした。この平原ではブリ3兄弟と称されるチーズが作られている。長男のブリ・ド・モー、次男のブリ・ドムラン(Melun)、そして3男のクロミエ(coulommiers)など、それぞれ産地の村や町の名前がついている。まずはモーの町の近くの工房と熟成庫を取材し、クロミエの町では朝市の露店で売られているブリ3兄弟の写真を撮った。そして工房では写真を撮りながら、複数の案内人や工房の人などにルイ16世がこの地方の旅で食べたのは「ブリ」であったかと尋ねたのですがそんな事は知る人はいない。最後の案内人が「それはブリに間違いない」といったのです。そこで、その根拠を尋ねるも返答はなかった。

4.熟成完了のブリ

話の結末はこうです。フランス革命でとえられパリに幽閉されたルイ16世一家の逃亡劇から話は始まるのですが、危機感がなく動きが鈍いルイ王は側近の緻密な逃亡計画についていけず旅は大幅に遅れ、シャロンの町で待ち合わせた護衛の兵達に出会うことができなかった。やむなくそのまま北に進路を取るも、ついにシャンパーニュ地方の小さな町ヴァレンヌで革命派にとらえられ町長の家の2階に押し込められる。しかし、資料によれば窮屈な馬車の旅から解放され初めて庶民の家に上がり込んだルイ16世は、大いにくつろぎワインとチーズを所望するのです。そして王は悠然と食卓に向かい、出されたプラトーから「猛烈に大きいチーズの一辺を切り取った」というのです。このチーズが何であったかという事は資料には書かれてないけれど、王様がみずから切り取れる柔らかくて大きいこの地方のチーズといえば、ブリしかありえないと筆者は考え地元の業者に尋ねまわったというわけです。

5.ブリ3兄弟を売るクロミエの市場










 

■参考文献「マリー・アントワネット:下巻:岩波文庫」
©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会

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