豚のペプシンでチーズを作る!?
レンネットは仔牛第4胃から抽出するのが一般的です。レンネットにはキモシンとペプシンが含まれます。キモシン(chymosin、英語ではカイモシンと発音します)はκ―カゼインのN末端から105番目のフェニルアラニン(Phe)と106番目のメチオニン(Met)の間を切断し、乳の凝固をもたらします。
余談ですが、1991年に国際酪農連盟(IDF)の年次会議が品川で行われた際、各乳業メーカーの若手が駆り出されて会議運営の手伝いをしました。会議の議事録を作成するために、同時通訳の録音を書き起こした日本語を何人かで分担し内容をチェックしたことがあります。すると「・・・開門し・・・」と書いてある箇所があり、どう考えても文意が通じません。1週間位考えてようやく気付きました。「カイモシン」を通訳の方が「開門し」と訳したのでした。横道にそれてしまいました。時を戻しましょう。
ペプシンもカゼインの凝固をもたらしますが、キモシンに比べるとκ―カゼインだけでなく、カゼインの色々な場所を切断し、ペプチドを生成します。1910年(明治43年)に発行された『牛乳及製品論』(図1)という書物にはチーズ製造に“まれに豕の胃を用いることがある”と記載されています。「豕」は辞書には「猪や豚」と書いてありますが、恐らく豚のことだと思われます。また、太平洋戦争の終戦直後にはレンネットの輸入が途絶え(戦時中の各乳業メーカーはカゼインから戦闘機の接着剤を作り軍に納入しており、チーズは殆ど作られていません。C.P.A.コラム 2017年6月20日参照)、仔牛第4胃の調達も不十分であったため、豚の胃からペプシンを抽出する研究をしたことがあったようです(『雪印乳業チーズ技術史』1985年)。但し、実際に豚ペプシンを使ったチーズが製造されたという記録はありません。
海外でも豚ペプシンに関する研究が行われていました。豚ペプシンは牛レンネットや牛ペプシンと異なり、pH6.68以上では殆ど働かず、pH6.6以下で作用します(図2)。そのためチーズ乳にスターターと共に豚ペプシンを添加していても、初期には豚ペプシンは働かず、pHが下がってから働くのでチェダーチーズの製造に向いていると記載されています(Fox, J. Dairy Res. 36: 427-433, 1969)。
この場合、牛レンネットと豚ペプシンを混ぜて使うとよいとのことです。豚ペプシンを添加して作ったチーズの構造を電子顕微鏡で観察した結果では、牛レンネットで作ったチーズカードはコンパクトな凝集体であったのに対し、牛ペプシンや豚ペプシンで作ったカードは緩い凝集体だったと報告されています(Eino et al, J. Dairy Res. 43: 113-115, 1976)。
ペプシンはレンネットよりカゼインの色々な場所を切るので、カゼインが短くなり、緩やかな凝集体になると思われます。
このようにチーズを作る場合、様々な凝乳酵素の特性を把握し、複数の凝乳酵素を組み合わせるとカードの物性を制御したり、風味に変化を与えたりできるかもしれません。
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