乳科学 マルド博士のミルク語り

モンゴルでの馬乳利用はいつ始まったのか?

2020年7月20日掲載

モンゴルでの馬乳利用はいつ始まったのか?

人類が乳を利用するようになったのは約9000年前で、中近東のアナトリアやレバントにて羊、山羊、牛を家畜化し搾乳したと考えられています。そして、7500年前にはヨーロッパに、6,000年前にはアフリカへ伝わりました(J-milk HP、2018年7月16日に開催されたワリナー博士の講演会報告より、尚、本報告は現在削除されておりアクセスできませんが、読みたい方はC.P.A.事務局にご連絡ください)。さらに、インドやモンゴルにも伝播しました。しかし、モンゴルに乳文化がどのように伝播したのかはよく分かっていません。

モンゴルと周辺国との位置関係を図1に示します。大雑把にいえば、モンゴルの西はカザフスタン、南は新疆ウイグル、北はロシアです。そして、北部ユーラシア大陸を東と西に分けているアルタイ山脈があります。牛、山羊、羊の乳利用についてはアルタイ山脈を越えてモンゴルに伝わっています。一方、馬乳の利用はBC5500年にカザフスタン地域で“独自に”発展したと考えられていますが、モンゴルで馬乳が利用され始めたのはずっと後のことです。何故“独自”なのかというと、中世地中海地域の医学古文書には様々な動物乳の特徴や効能が記載されているにも関わらず、馬乳については全く言及されていないのです2019年1月26日、C.P.A.セミナー「中世地中海世界の乳製品について」、尾崎喜久子先生)。

そこで、ワリナー先生らの研究チームはモンゴルの遺跡から出てきた人骨に含まれる歯石に注目し、歯石に含まれる動物乳のたんぱく質をプロテオミクス解析(2019年7月20日、C.P.A.コラム参照)という最新科学手法を用いて解析しました(Wilkin et al, Nature Ecology & Evolution 4: 346-355, 2020)。“歯石は史跡”で、この方法を使うとどの動物種の乳を飲んでいたのかを判定できます。もし、BC3300年頃のモンゴルにて発掘されたヒト歯石から馬乳たんぱく質の痕跡が見つかれば、馬乳利用は牛、山羊、羊乳の利用と共にカザフスタン経由でアルタイ山脈を越えてモンゴルにも伝わったと推定することができます。
しかし、BC3300-2400年前のアルタイ山脈東縁にある遺跡から掘り出された人骨の歯石からは馬乳たんぱく質の痕跡は見つかりませんでした(図2)。BC1600-1200年には牛、山羊、羊の乳利用はモンゴル東部にも広がっていますが、馬乳の痕跡は認められていません。しかし、BC1300-1000年頃の遺跡から発掘されたヒト歯石からは馬乳利用の痕跡が見つかっています。

BC400年頃からモンゴルには匈奴(きょうど)と呼ばれる騎馬遊牧民が馬上から矢を射る戦法でモンゴル全土を支配し、漢にも攻め込みました。戦いの時は兵士全員が騎乗し、敵陣に怒涛の如く突撃するのですから動きの遅い羊や山羊を連れて戦場に赴くわけにはいきません。自分たちが連れていく馬から搾乳すれば水代わりになるし、酸乳や馬乳酒にもなります。騎兵にとって便利でかつ栄養補給にもなります。馬乳は搾乳量が少ないし、たんぱく質含量が低いなどの欠点がありますが、抗菌作用があるリゾチームが多く、戦傷に塗る傷薬としても期待できます。恐らくこのようにして馬乳を利用する文化が発展したと想像できます。

ここで一つの疑問が湧きます。モンゴル人にとって乳は主要なエネルギー源であり、夏場では摂取エネルギーの1/3が乳・乳製品であるにも関わらず乳糖耐性がありません。それなのに、乳糖含量が牛乳よりずっと多い(人乳と同程度)馬乳を水代わりに飲むことができたのでしょうか?自然発酵させた酸乳や馬乳酒を沢山飲むことによって腸内細菌が乳糖を分解できる菌叢になっていたのでしょうか?ワリナー先生らはその辺も調べる予定だそうです。

ラクダ乳の痕跡はAD1300-1500頃です。どのような経路でラクダ乳利用が伝わったのかは論文には書いてありません。しかし、この年代は日本では鎌倉時代から戦国時代で、1274年と1281年には元寇もありました。交易が盛んになっていますのでシルクロード経由で伝わったのかもしれません。今後の研究が期待されます。


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