チーズの事典、図鑑、カタログ的な書籍はこれまでに数々出版されていますが、これは他に類を見ないロングセラーであり、その内容もまた特異的なものです。
『チーズ図鑑』 文藝春秋 1993
文藝春秋編 増井和子 山田友子 本間るみ子 撮影 丸山洋平
第Ⅰ章はフランス。増井和子さんらが10年かけてフランス各地で食べ撮影した900種余りから、375種を選んで掲載した、とされています。当然のように現地でしか食べられないものが多数含まれている、というのがおもしろいところです。
サイズや特徴がていねいに記され、時に食べ方、時に製造法が語られています。丸山洋平さんの写真がとても美しいということもありますが、大きさが伝わるように枠からはみ出させたりする編集技術もすばらしいと思います。
代表的なチーズには規定や製造法、熟成中の状態などが詳しく述べられています。
アボンダンスやカマンベールの製造、ボーフォールを切る姿、ロックフォールのメーカーによる違い、ヒツジの回転式パーラーでの搾乳、トム・ド・リュランの「ネコの毛」カビ。これらの写真は、当時も今も読者には衝撃的です。
アルファベット順でありながら地域やタイプのグループに集めてある、という一見わかりにくい順番なのですが、これが独特の世界になっています。
コラムでの用語や技術等の解説、各グループの背景が効果的にはさまれていて、引き込まれます。トランジュマンスやフリュイティエールといった言葉をここで初めて知った方も多いのではないでしょうか。
第Ⅱ章はヨーロッパ・日本、ここは本間るみ子会長が書かれています。
フランス以外のヨーロッパのチーズは48種。ダナブルーやマスカルポーネと並んで、ハルツやガンメルオストなど今でも現地に行かないと入手しにくいものもあり、チーズの多様性を示したチョイスなのでしょう。ここでもパルミジャーノやモッツァレラ・ブファラ、信玄チェダーの製造工程が写真で過不足なく説明されています。
日本のチーズは12種、国産チーズ第一世代ともいうべき先輩方の製品ですが、ほとんどが今でも作られ続けているということは尊敬に値します。
あるチーズ職人は以前「暇があればこの本を読んでいて、いろいろなことに気付かされる」と話していました。チーズという食品のドラマチックな魅力を垣間見ることができる本、といえるでしょう。
中心となった著者、増井和子さんはパリに長く暮らしたジャーナリストです。雑誌『暮しの手帖』に食やファッションについて多くのエッセイを書かれています。チーズについては、「チーズの旅 チーズの話」(1981年)、「チーズ商 アンドゥルエ商店」(1983年)などで詳しく語られています。当時は多くの読者があこがれの異国への思いを募らせたことと思います。
『パリの味』(1985 文藝春秋、1988 文春文庫ビジュアル版)はパリの名店について書かれた写真満載の名著で、フランス料理に特に強い興味があるわけでもないぼくでも引き込まれて読んでしまう魅力があります。写真はチーズ図鑑と同じく丸山さんです。上記の「チーズ商 アンドゥルエ商店」は編集されてここに再掲されています。
2001年には新書版の『チーズ図鑑』(文春新書)が出されています。これはフランス以外のヨーロッパチーズが増やされて110種、フランスは80種で生産地でしか入手できないものは省かれました。日本のチーズの掲載はありません。タイプ別分類が追加されて、違った雰囲気のものになっています。両方を手元に置かれてもおもしろいと思います。
また、『チーズ図鑑』は10以上の言語に訳されています。フランスでは、第Ⅰ章のみの構成でジョエル・ロブションの序文がつき、『Encyclopédie des fromages』として出版されました。クール・ド・ヌーシャテルが中心に置かれたデザインの表紙です。
これが元本となって、他の各国で『フランスチーズ図鑑』として訳されたものと思われます。英語版もロングセラーになり、「これは日本人が書いたものの翻訳なのだ」と言っても信じてもらえなかった、という話も聞いたことがあります。英語版やフランス語版でも、写真が追加されスリムになった更新版が出ています。
ぼくの手元にはイタリア語、ドイツ語、中国語などの版がありますが、その他の言語のものをお持ちの方は、ぜひ写真をお寄せください。