乳科学 マルド博士のミルク語り

愛光舎とミルクボーイ

2020年2月20日掲載

愛光舎とミルクボーイ

東京の牧場は、明治時代初期には皇居周辺にありました。雉子橋(現、千代田区役所付近)や北辰舎(九段下、乳業会館すぐそば)をはじめ四谷、広尾などにも牧場がありました。しかし、人口が増えるにつれて牧場は郊外(といっても、山手線周辺)に移動しました。そうした牧場の一つが愛光舎です。

愛光舎角倉賀道(スミクラ ヨシミチ)という小児科医が天然痘ワクチンの製造を目的に現在の巣鴨付近に牧場を開設しました(1898年、明治32)。翌1899年には蒸気殺菌牛乳を製造し、神田の販売所で発売しました。神田の販売所は水道橋の駅近くにあり、現在は「I-Kousya」というバーガーショップとなっています(平日の昼間のみ営業  写真1)。牛乳販売店の面影を残したお店で、店内には昔の牛乳販売の様子が書かれた英字新聞の記事が展示してあります(写真2)。住所が「東京市神田区三崎町」と書いてありますので、昭和18年より前の写真です。英文の記事には「40年前には飲用乳を搾乳する牛は日本にはいなかったが、今では7,000頭の牛がいる」と書いてあります。なので、大正時代の写真かと推測できます。大八車で牛乳を販売している人は「Milk Boy」と紹介されています。ミルクボーイといえば2019年のM-1で見事優勝したお笑いコンビ名ですね。世間的にはコーンフレークが脚光を浴びましたが、大八車で牛乳販売している人が元祖ミルクボーイなんだゾ~っ!

また、設立時期は不詳ですが、愛光舎の工場は東上線大山駅の近辺にありました。ここには2017年に「ミルク一万年の会」の「ブラミルク@東京」で訪れました。残念ながら今はマンションになっていますが、近くに「愛光舎」の看板を掲げた牛乳販売店があり(写真3)、その店主は工場で乳酸菌の培養を担当していたそうです。愛光舎は1911年(明治44)には神田にてヨーグルトを販売しており、日本におけるヨーグルトの草分け的な会社でした。

角倉賀道はブラウンスイスやホルスタインを輸入し、1905年(明治38)に大宮種牛牧場を開設し、乳牛を育成し、各地の酪農普及に貢献しました。種牛牧場はさいたま新都心駅付近にありましたが、現在はコクーンシティという大型ショッピングモールになっています。
神田三崎町の販売所はC.P.A.の近く、北辰舎は乳業会館の近く、そして大宮種牛牧場跡は我が家から徒歩30分程度の場所にあります。身近な場所に酪農乳業に関連した歴史があったとはミルクとの深~い縁があるのでしょうね。
皆様も身近な場所に酪農乳業の痕跡がないか調べてみてはいかがですか。