乳科学 マルド博士のミルク語り

戦前に生産されていたカゼイン

2021年9月20日掲載

戦時中、カゼインが戦闘機の接着剤として利用されていたことは2017年6月20日のコラムで紹介しました(「戦闘機とカゼイン」)。また、2021年7月20日には終戦時におけるチーズ生産量が約87トンでしたが、この数字は食用としてのチーズ生産量なのか、接着剤用カゼインも含む数値なのか分からないと書きました(2021年7月20日「阿南陸相が食べたチーズ」)。
大正~昭和初期にかけてどれくらいのカゼイン(主として接着剤用と思われます)が生産されていたのでしょうか?をご覧ください。この表は農商務省農務局が乳製品の生産および販売量を取りまとめた資料から抜粋したものです。ちなみに農商務省の資料にはチーズやカゼインのみならず、生乳、ヨーグルト、バター、クリーム、人造バター(マーガリン)、煉乳、など様々な乳製品の生産者名(含、住所、商標)毎に生産量、販売量、販売先が記載されていて、大変貴重な資料です。残念ながらこの資料は断続的にしか残っていないようで、残っている資料は国会図書館のアーカイブからゲットできます。
カゼインの生産が最初に登場するのが1916(大正5)年で、生産量は日本全体で約13.8トンです。この年のチーズ生産量は12.6トンで天使園トラピスティヌ修道院を筆頭に7カ所で製造されています。カゼインの生産量はチーズのそれを上回り、1931(昭和6)年には107トンになりました。しかし、1935(昭和10)年には減少し、逆にチーズの生産量は85トンに急増しています。これは、北海道製酪販売組合(酪連、後の雪印メグミルク)の遠浅工場にてチーズの大量生産が始まったためです。20世紀になると様々な合成接着剤が実用化され始め、カゼインを使った接着剤は用途によっては合成接着剤に置き替わったかもしれません。
カゼイン接着剤について2017年のコラムに書いた時、カゼインから接着剤を作る方法が分からないと書きましたが、今回再び文献検索をしたところ1件見つかりました。ただし、この文献は何年にどこに掲載されたものか不明です
https://unit.aist.go.jp/tohoku/techpaper/pdf/1915.pdf。縦書きで、文体が古く読みにくいのですが、文中に「現在一般に資材の入手困難なれば・・・」との記載があることから太平洋戦争が勃発する直前、あるいは戦時中の論文かと推察します。
接着剤、特に航空機用接着剤の製造方法は、カゼインをアルカリ溶液に溶かし、ホルムアルデヒドなど添加するようです。カゼイン接着剤は使い勝手がよかったそうですが、耐水性がいまいちで、耐水性を高めるために用いられたアルカリ剤は「代表的にして普遍的なるものは水酸化石灰なり」と記載されています。水酸化石灰とは水酸化カルシウム(Ca(OH)2)のことです。また、原料として使うカゼインは酸カゼインがよく、レンネットカゼインは「灰分多くして粘度高く接着剤原料には適当せず」だそうです。レンネットだけで凝固させたカゼインは、凝固pHが中性に近くリン酸カルシウムナノクラスターがカゼインミセルから外れていません。そのため、カゼインのホスホセリン(Ser-P)にナノクラスターが結合していて、ホスホセリンとリジンとの間に生成するリジノアラニンによる分子間架橋が生じにくいためかと考えます(説明が分かりにくいかと思いますが、詳しくは2017年6月20日参照)。

表から分かるように、大正~昭和初期においてチーズは北海道、そしてカゼインは東京府の伊豆大島が最大の生産地でした。伊豆大島では質のよいバターも生産されていました。生乳からクリームを分離しバターを生産し、脱脂乳を酸凝固させてカゼインを生産する、バターとカゼインの生産量が多いのも頷けます。
では現在は?10年以上前になりますが、大島に遊びに行ったことがあります。その際に大島牛乳に行ってみました。残念ながらその日は操業しておらず、小さな製造室を外から覗きましたが、どの程度の生産状況かは分りませんでした。戦前に大活躍した乳業メーカーで、これからも島の牛乳供給に活躍していただけるものと期待しています。

 


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