世界のチーズぶらり旅

フランスの王族に愛されたチーズ

2017年7月1日掲載

マロワール誕生の村

パリ盆地の北部、ベルギーに国境を接するあたり、新しい地域名ではノール=パ・ド・カレ圏というらしいが、パリに近い割には、目ぼしい観光スポットがないので、日本の観光客はあまり行かない。ノルマンディーと並んでワインなし圏でもあるが、チーズはソフト系のものがたくさんある。中世以来この辺りに建てられた修道院は、荘園を経営し、そこでは修道士たちによって新しいチーズが作り出されてきたという。そして、中世の後半、荘園が崩壊すると、代わって地元の農民たちが牛乳から作るフランス特有の柔らかい熟成チーズを次々と生み出していった。「チーズと文明:築地書館」

これから紹介するチーズは7世紀に、北フランスのマロワールの修道院で生まれたという、四角いウオッシュ・タイプのチーズである。

豪快な型入れ作業

中世のヨーロッパでは、チーズは庶民の重要な食料であり栄養源であったが、高貴な人たちの間では貧者の肉といわれ、王侯貴族の食卓には縁遠かったようだ。例えば、17世紀のフランスの劇作家モリエールは「守銭奴」の中で、ケチな男に結婚相手を紹介するとり持ち婆さんに「あの娘は、リンゴとかチーズなどのつましい食事に慣れっこになっているので、金はかかりません」などと言わせている。また、シェクピアの戯曲ヘンリー4世には「チーズとニンニク」は最低の食事の例えとして描かれている。などなど、チーズは下々の食べ物であって、高貴な晩餐会などには、近世になるまで登場してこなかった。

熟成中のマロワール

ところが、このマロワールほど何人ものフランスの王族に食されたという記録を持つチーズは他に見当たらない。12世紀のフィリップ2世に始まって、シャルル5世、シャルル6世、ルイ11世、フランソワ1世、そして17世紀のアンリ4世と続く。権威ある修道院で作られたということもあろうが、パリから200km足らずと近くイギリスやオランダなどへ行く道筋という地の利もあったかもしれないが、ウオッシュ・タイプという個性の強いチーズが、これほど王侯貴族に受けたというのは、にわかに信じがたい。
日本人のチーズ愛好家とて、数多くのチーズの中からマロワールを選ぶことは少なかろう。筆者もこれまで試食会などで数回口にしたが買ったことはなかった。今回の旅で初めてマロワールをたっぷりと味わうことが出来たが、やはり個性の強いチーズである。

試食チーズもたっぷりと

この試食会で、一緒に出されたのが最後の写真のブーレット・ダヴェンヌ。これはマロワールの崩れた生地にハーブを混ぜて砲弾型に整形したものだが、そこで思い出した。確か同じようなレシピで作るドーファンというイルカ型のチーズもあるはず。ドーファンはイルカのほかに「王太子」という意味があり、ルイ14世の王太子がこの地を訪れたとき、イルカを模したチーズを作って献上したといういわく付きの物である。最初にこのチーズに出会ったのは相当前で、日本での試食会であったか。以来とんと見かけない。今回もパリのチーズ店でも探したが見つからなかったので写真はありません。

ブーレット・ダヴェンヌ