世界のチーズぶらり旅

パリの胃袋

2017年3月1日掲載

歩道にはみ出したテーブルで食事

レストラン(Restaurant)というフランス語を辞書で引くと、気力を回復する、強壮にするの他に、気付け薬、強壮剤等の後にやっと料理店という訳が現れる(新仏和辞典:白水社)。

フランス革命の少し前のこと、ある食べ物屋の店主が、濃厚なブイヨンを「元気を回復する食べ物=レストラン」として売り出し評判を呼ぶ。すると同じような店がぞくぞくと現れ、やがてレストランとは料理を提供する場所の名前になるのである。そしてフランス革命が起こり、貴族社会が崩壊すると、そこから放り出された宮廷の料理人達は町に出てレストランを開く。いわゆる食の民主化が起こり、新しく台頭してきたブルジョワジーや裕福な市民達が王侯貴族の味を求めて、彼らの料理に群がり、レストランは繁盛していく。短絡的にいえば、パリはこうして美食の都になっていく。今では町のいたる所にレストランやカフェを始め、ビストロ、ブラッスリー等が店を開いていて、広場や歩道までテーブルに浸食されている情景も珍しくない。最近は日本食の進出がめざましいようだが、中華料理はもとよりアラブ系やアフリカ系の店も多く、パリは世界各国の料理店の激戦区なっているのである。

大迫力の野菜の陳列。

フランスの作家エミール・ゾラの作品に「パリの胃袋」という特異な小説がある。何が特異かといえば、舞台はパリの中央市場のど真ん中で、そこに運び込まれる膨大な食材の山の中で沸騰する人間模様を描いているのだが、ゾラは膨大な食材をも丹念に描いている。野菜、果物、海魚、川魚、家禽や野禽の肉とその加工品、動物の内臓やタン、脳ミソなどあらゆる食材をとりあげ、細かく描写しているから筋書きはそっちのけで、この部分だけを読んでも十分に面白い。もちろんチーズも描かれているが種類はさほど多くはない。それには訳がある。この物語が描かれているのは、ナポレオン三世の時代で(1852年~)、当時フランスでもやっと鉄道網が出来つつあり、馬車で遠くまで運ぶのは困難だった、カマンベールのように地方で作られるソフト系のチーズが、種類は少ないがパリでも買うことが出来るようになった時代である。しかし、冷蔵庫のない時代だから、チーズの痛みは早く、この小説の中でもチーズは悪臭の代名詞として描かれている。

かわいそうなうさぎクン

「カマンベールは腐敗しかけた野鳥の肉の匂い、四角いヌーシャテルや、マロワールやポン・レヴェックは吐き気を催し、リヴァロは硫黄の煙のように喉を刺激する。」というとんでもない描写が続く。またこんな情景もある。「斧で絶ち割ったような巨大なカンタル。黄金色のチェスター(チェシャー)。死人の頭といわれるオランダチーズ(エダム)。ひときわ香しいパルメザン。王侯貴族然としたロックフォール。蛮族の戦車の車輪のようなグリュイエール」等々である。(藤原書店刊:「パリの胃袋」から抜粋、筆者要約)

おそらく百種を超えるであろう雑多な食材が、こうした、独創的な比喩を交えた言葉で紹介されていのは、なかなかにして圧巻である。

工芸品のようなチーズ達

さて、このパリの中心地にあった中央市場は1870年に、当時としては超モダンな建築物として完成し、以後、ほぼ100年間パリの胃袋を満たしてきたのである。しかし1969年には郊外のランジスに移転してしまう。それは私が初めてパリを訪れる一年前の事、タッチの差でゾラが描いた中央市場を見ることが出来なかったのは残念な事であった。

テト・ド・フロマージュ

しかし、パリの町には今でも、常設の食品街とは別に、数十カ所もの広場や路上の露天市が立つ場所が町中にばらまかれていて、今も庶民の胃袋を支えている。そのリストにはそれぞれの市が立つ曜日が書かれているので、そこに行けば「パリの胃袋」に描かれている、半割りの豚の頭やトン足、血まみれの羊の脳ミソ、豚の血で作るソーセージ、ブーダン等も並んでいる。チーズの方は当時より格段に種類が多く、清潔で美しい。私は日本では滅多に食べられない、豚の頭肉で作るテト・ド・フロマージュや、内臓のソーセージのアンドゥイユが好きだから、市場で買い求めセーヌ河畔などで食べるのが楽しみなのである。