世界のチーズぶらり旅

山脈のこちら側

2013年3月1日掲載

ジャンヌ・ダルクの像

フランスの北東部のアルザス、ロレーヌ地方はヴォージュ山脈によって東西に分けられているが、我々日本人に取っては山脈のこちら側のロレーヌ地方より、あちら側のアルザス地方の方がなじみ深い。それは、フォワ・グラ、シュークルートなどの料理や個性的なアルザスワインなどが知られているからである。そのほかにはフランスを代表するストラスブールの大聖堂やおとぎの国のような美しい村がある。それに引き替え山脈のこちら側(パリから見て)のロレーヌ地方は、気候風土も違っているが、日本人に知られているのはキッシュ・ロレーヌとアール・ヌーヴォーの発祥の地という位ではないだろうか。バカラのワイングラスがロレーヌ地方山中のバカラという小さな村で作られている事を知る人は少ない。かくいう筆者もアルザスは行ったがロレーヌは足を踏み入れた程度だった。

パリ盆地の大平原

話は変わるが、ロレーヌ地方はジャンヌ・ダルクの出身地である。英仏による百年戦争 の末期ロレーヌ地方のドンレミィ・ラ・ピュセルという小さな村で生まれたジャンヌは、16歳の時に神のお告げを聞き村を出てフランス軍に投じ、イングランド軍に包囲されていたオルレアンを開放し「オルレアンの少女」といわれる。私はロレーヌに出発する前に、パリのルーブル美術館の近くにある、金ぴかのジャンヌ像に詣で写真を撮ってからナンシー行きのTGVに乗った。フランス自慢の高速列車はパリ盆地を北東に向けて走る。時期は夏だったので黄金色の麦畑や広大な緑の牧草地、そして時々黒々とした森が現れる。豊かなる国フランスである。国土はざっと日本の1.6倍で人口は半分。しかも、可住面積は日本が20%強で、あちらは62%に達するというから勝負にならない。車窓の風景に見とれているうちに早くもロレーヌ地域圏の第二の都市ナンシーについた。ナンシーはアール・ヌーヴォーの町だが目的はチーズ探訪である。

マンステル・ジェロメの熟成

この地方はAOP(原産地名称保護)認証のマンステルというチーズの生産エリアだが、チーズの名前になった町はアルザス側にあるので、アルザスのチーズと思っている向きも多いと思うが、山脈のこちら側で作られるものはマンステル・ジェロメと呼ぶ。以前にマンステルを取材したとき、このジェロメが気になって地元の人に尋ねると、山脈の西側にこの名前の元になったジェラルメ(Gerardmer)という町があるというので、峠を越えてを見に行ったことがあった。今回は20数年ぶりに、この小さな湖水のほとりにあるジラルメの町を走る車の中から眺め、もう二度と来ることもあるまいと思った町に再訪することになったチーズの不思議な縁を思った。山脈のこちら側はモミの木の森が深い。

ナンシー郊外のチーズ専門店

ナンシーの町に戻る途中に郊外にあるチーズ専門店に立ち寄って驚いた。人家がまばらな郊外にあるこの店は、これまで見たこともない規模の店であった。理由なき先入観だが、ロレーヌにはAOPチーズは2個くらいしかないので期待はしていなかったが、この店のコレクションは見ものだった。L字になった長い陳列台はバックを黒にしてチーズを引き立たせている。写真が撮りやすいしチーズがきれいに写る。最後に迷った末にチーズをいくつか求め、ナンシーの町の少々金ぴかの世界遺産、スタニスラス広場でフランス産の中ではおいしいといわれるアルザスビールを合いの手に幸せな時を過ごすことができた。

スタニスラス広場で乾杯