ある年配以上の人ならば、ポートワイン名は良く知っているはずである。1960年代後半からいわゆる第1次ワインブームといわれる時代が来るまでは、ワインといえば甘いポートワインと思っている人が大半だった。これは寿屋(現サントリー)の創始者が作り出した甘口の赤ワインが「赤玉ポートワイン」の名で売り出され爆発的にヒットしたからである。日本のワインブームの初期に筆者もヨーロッパ各国のワインの導入に関わった事があるが、当時は普通の赤ワインを初めて飲んだ人は、ワインって甘くないんですねといった。これも日本に甘口のワインが先に定着したからである。
そのポートワイン(ポルト)だが、本物はポルトガル北部の都市ポルト(Porto)の特産品で、この町の名を冠したポルト酒の名は、葡萄の栽培地や製法などが厳格な規制を受けている。従って日本の英語読みのポートワインなる商品名もポルトガル国からの抗議を受けて1973年にスイートワインに変更されたのである。
さて、かくいう筆者も赤玉ポートワインは少しは飲んだが、本物のポルトを飲んだ経験は数える程しかなかった。甘口が苦手のせいもあって、仕事上いく度か口にしただけである。ポルトは一般のワインの製法と違うが、詳しい話は次回にまわすとして、今回はポルトの街の話である。
ワインの仕事でこの街に付いての勉強はしたが、訪れるのは初めてである。しかも今回はチーズ探訪の旅の途上である。この町はずっと昔は、ポルト・カレシスといった。後にここに王国が成立した時ポルトガルという国名になったのである。ポルトとは港という意味で、街中をドウロ川が流れ、川沿いに建物が立ち並び、あちこちに船着き場がある。
この街で最初の作業はレストラン探しである。道は迷路の様で、急な坂の多い街歩きは体力がいる。ポルトガルの名物料理といえば干ダラの料理だが、ポルト市は内臓料理も有名だというので、トリップ好きの筆者は夕食はそれと決めて街に出たのだった。 この街に多い教会や駅などの建物で変わっているのは、その壁やファサードがアズレージョというブルーの絵タイルでおおわれている事だが、この話は長くなるので、これも次回にということで、街歩きの話に戻ろう。
迷路を行きつ戻りつして、目星をつけておいたレストランをやっと探し当て、まずは前菜のオリーヴの実と干タラのコロッケで始める。次に巨大なたこの足のサラダ、そしてメインの牛の内臓と白いんげんの煮込みと進んだが、やっぱり量が多く時間をかけてやっと平定したがデザートまでは行きつけなかった。真っ白いクロスをかけたやや高級そうなレストランだったが、これまでに感じた通り、ポルトガルではレストランの料理でも、家庭料理の域を出ないな、という印象をここでも持った。フランスのレストランと違い、食後にチーズは出ないから、ホテルに帰ってスーパーで買った、ポルトガルの不思議なチーズと寝酒用の地元のワインを飲みながら、本日の取材メモを整理する。来月はドウロ川をさかのぼって、耕して天に至る、葡萄の段々畑に案内所しよう。