哺乳類は想像を絶する苦労と創意によりグルコースとガラクトースから乳糖を合成することに成功しました(2016年4月20日)。赤ちゃんがミルクを飲むと、小腸から分泌される乳糖分解酵素(ラクターゼ)が乳糖をグルコースとガラクトースに分解して吸収し、エネルギー源として利用します。しかし、成長するにつれてラクターゼの分泌は低下し、やがて分泌されなくなります。このため、乳糖を分解できなくなり、乳糖のまま大腸に至ります。すると、大腸内の乳糖濃度を薄めようとして水が入り込み下痢となります。また、大腸に棲んでいる菌が乳糖を分解しガスを発生させます。ガスが溜まると膨満感や腹痛をもたらします(図参照)。これが乳糖不耐症です。
一部の人種を除き、世界的には大多数の方は成長するとラクターゼを出さなくなります。突然ですが、「アイスマン」を覚えていますか?1991年アルプス山中の雪と氷の中から偶然出現した5,300年前のイタリア人男性のミイラです。当時、大々的に報道されました。直接の死因は矢傷だったそうですが、深刻なメタボでした。そして、乳糖不耐症であったことも判明しました(Nature Communications doi: 10.1038/ncomms1701)。
では、私たちはほぼ全員が牛乳を飲めないのでしょうか?そんなことはありません。恐らくこのコラムを読んでいる方の多くが牛乳を飲んでも特に問題はないと思います。何故でしょうか?
第一は、そもそも乳糖不耐症でも少なくとも12gの乳糖(牛乳換算で約260mL)を1回に摂取しても症状はでないことが医学的に分かっています(EFSA J., 8: 1777, 2010)。日本人でも牛乳500mLを一気飲みしても問題ありません。しかし、コップ1杯の牛乳でも乳糖不耐症とよく似た症状が起きる方が少なくないことも認識されています。原因はよく分かっていないのですが、多くの方が混同しています。なので、ここでは両方を合わせて「牛乳不快症」とでも仮に呼んでおきます(医学的に正しい用語ではありません)。
第二は、「牛乳不快症」の方でもチーズやヨーグルトなら不快な症状は現れないことです。チーズは分かります。チーズ製造時にホエイを排除するので乳糖も排除され、チーズ中の乳糖含量は大幅に減るからです。ヨーグルトでは乳酸菌で発酵させる過程で乳糖が乳酸に変化し乳糖含量が減ります。ここまでは教科書にも書いてあります。では、ヨーグルトに含まれる乳糖はどの程度まで減るのでしょうか?表はチーズやヨーグルトの乳糖含量を示しています。ヨーグルト中の乳糖含量は商品により多少の違いはありますが、概ね牛乳とほぼ同じか少し低い程度なのです。これはヨーグルトを製造する際に乳固形分を上げているためです。このため、乳糖はかなり残っていますが、それでも不快な症状は出にくいことが報告されています。一体、何故なのでしょうか?詳しいことは分かっていませんが、ヨーグルト中の乳酸菌が出すラクターゼは例え胃酸により乳酸菌が死んでも酵素は生き残り、小腸にて乳糖を分解してくれるためではないかと推察されています。まるで、「キグチコヘイハ、シンデモ ナオ ラッパヲ ハナシマセンデシタ」みたいな。古ッ!
だとすれば、日常的に乳酸菌を摂取する食生活をしていれば、私たちのお腹の中は乳酸菌にフレンドリーな環境になり、乳酸菌をペットのように飼っている状態になります。なので、小腸からラクターゼを分泌できなくてもお腹に飼育している乳酸菌の活躍で乳糖を分解することができるようになります。これが第三の理由です。
さて、人類がミルクを利用し始めたのは一万年近い昔のことです。子供が動物の乳首から直接ミルクを飲んでも(いわゆるハイジ飲み)不快な症状はでなかったでしょう。しかし、それを大人が真似するときっと不快な症状に遭遇したに違いありません。そこで話が終わってしまうと、今日の乳文化はなかったかもしれません。しかし、搾ったミルクを壺に入れておくと、やがて環境中から混入した乳酸菌が働き酸乳になります。恐らくこれを飲んだ古代人は不快な症状がなく、イケるじゃんと思ったことでしょう。そして、酸乳はイケることを知った古代人は、やがて酸乳にしてからクリームを集めバター(今の発酵バター)にし、残った酸乳を放置しカードを集め、塩を混ぜて味や保存性を高めるとさらに利用価値が上がることを知りました。つまり、チーズは保存性を高めるために発明されましたが、食べても不快な症状に遭遇することがなかったために、世界中に広まったと考えることができます。その結果、優れた栄養価と健康効果の恩恵にあずかることが可能になったのです。搾乳技術、ならびにチーズを作る技術は、人類発展史上欠くことができない技術革命だったと言えます。歴史の教科書に記載してほしいです。「ハイ、ここ試験にでますよ!」となればミルクのすばらしさがより知れ渡るのですが・・・。残念!