チーズには柔らかいのと固いの、その中くらいの物などいろいろですが、どうしてこのように固さが違うチーズができるのか不思議ではありませんか。似たような食品、例えば豆腐なんかは一般的には絹ごし豆腐と木綿ごし豆腐の2種類しかない。ではどうやってタイプごとにチーズの固さを作り出すのか。話は少し専門的になりますが、チーズをもうちょっと深く知りたい人なら興味ある問題ではありませんか。前回ではチーズの形をつくる「型」の話をしましたが、この型もチーズの固さを決める役割も少しはありますが、しかしチーズの固さはこの型に入れられるカード(凝乳)の状態がカギを握っているのです。
チーズの固さを決める要因の一つは、どれだけ水分を少なくするか、あるいは残すかにかかってきます。ミルクに凝乳酵素(レンネット)加えるとやがて絹ごし豆腐よりもっと柔らかい凝固体(カード)になりますが、このカードから水分を放出させるためカッティングという操作を行います。カッティングはチーズ作りの初期の段階では最も重要な作業で、固いチーズを作る場合はカードを細かくし、ソフト系のチーズの場合は一般的に大きく大雑把にカットします。このカッティングに使う道具をカードナイフといいチーズの種類によっては、ナイフのイメージにほど遠いものがあったりでとても面白いのです。
古典的なチーズでは楽器のハープのようにピアノ線を張ったカードナイフ(写真A)でカードを所定の大きさのつぶ状にカットしますが、カードを小さくするほど水分が出やす くなるので固いチーズの場合は細かくカットします。近代工場では縦横にピアノ線を張ったカードナイフを機械でぐるぐる回しながらカットします(写真B.)。 パルミジャーノなどイタリア系のチーズはスピノという鳥籠のような形のカードナイフを使います(写真C.)。カットした後撹拌しながら加熱するとカードは収縮して水分を多く排出し、より固いチーズになります。これを加熱圧搾タイプのチーズと呼びます。
ソフトタイプのチーズではどうでしょう。カマンベールなどは大きなバケツ状の容器で牛乳を固めそれを縦に大きくカットしてから、お玉ですくって型入れします。同系統の白カビチーズのブリの製造を見学した時の事です。いきなりサーベルを引っさげた大男があらわれ、バケツの中の凝乳にエイヤッとばかりに切りつけたのにはびっくり。これはサーベラージュという作業で話には聞いたけど見るのは初めてでした。(写真D.)
話は全く変わりますが、19世紀の後半イギリスの作家トーマス・ハーディが書いた「テス」という小説があります。映画にもなりましたが、清純で絶世の美女テスは家庭が貧しかったのでチーズやバターを作るイギリス南部の牧場に住み込みで働きます。ある日彼女はクレアという彼女を恋する青年と二人でチーズ作りをする。彼らは両そでを肩までまくり上げ両手でカードを砕く作業を始めるのですが、テスの美しい腕に魅入られたクレアはその白い腕にキスをする。しかし、その腕は冷たくホエーの匂いがしたと書かれています。よくある設定なのでそのことにびっくりしませんでしたが、百数十年前のイギリスではカードのカッティングは両腕を使っていたことに驚いたのです。これは昔の話で現代であればそれなりの道具を使うのが当たりまえで、いまではこのような情景は見られないと勝手に思っていたのですが、なんと現代にも存在していたのです。ポルトガルの山のチーズ、セーラ・ダ・エストレーラの工房を訪ねた時、一人の女性職人が腕をまくり上げタンクの中の凝乳を両手で砕いているのを見てしまいました。(写真E.)。これにはびっくり。思わずテスの情景が浮かんできました。世の中まだまだ分からないことがたくさんありますね。