最近ウイスキーを飲む人が少なくなったので冒頭の写真を説明します。これはスコッチ・ウイスキーのカティ・サークです。これと紅茶とはどんな関係があるか。そのことは後で書きます。
紅茶といえばイギリスというほど紅茶とイギリスは切っても切れない関係にありますが、お茶の木は本来イギリスはおろかヨーロッパにはない植物で中国や日本で古くから栽培されていました。それが今から400年程前にオランダ船によって最初にヨーロッパにもたらされたといいます。それが短期間のうちにイギリスの社会に普及し独自の紅茶文化が生まれたのはすごいですね。最初イギリスで飲まれていたのは紅茶ではなく日本の緑茶だったそうで。紅茶の消費が拡大するとイギリスはインドのアッサムやダージリン、そしてセイロン(現スリランカ)などに大規模な茶の農園を作ります。
このように遠いアジアからお茶を輸入する仕事は最初、東インド会社が独占していましたがトワイニングなどの紅茶業者等の政府への働きかけで門戸が開かれると、多数の企業が参入し、いかに早く紅茶を運んでくるかという競争になり、クリッパーと呼ぶ高速船が次々に建造され、賞金までかけて速さを競いました。この時代に最速のクリッパーとして建造され、海の女王と言われたのが「カティ・サーク」でウイスキーのラベルに描かれている帆船がそれです。船名の意味はスコットランド語で「短いシュミーズ」だそうで、船のへさきには短いシュミーズ一枚をまとった妖精が付いています。140年程前に作られたこの船は今もロンドンに保存されています。
話は変わりますが、最初の頃イギリスでは緑茶はチャといい、紅茶をティーと言っていたようです。そして当時の紅茶を飲む器が面白い。最初は日本で使われる茶椀と同じく取っ手はなくソーサー(受け皿)もなかったのです。熱い茶碗を持つには取っ手があれば便利だから取っ手が付く。じゃあソーサーは何のために必要か。信じられないことに最初は熱い紅茶をソーサーに開けて冷まし、直接皿から飲んでいたそうです。
時代が下ると、やがてイギリスの王妃達が紅茶を日常的に飲むようになり、紅茶は一気に普及しイギリスの国民飲料となっていくのです。
こだわりの強いイギリス人は、紅茶のいれ方にはそれぞれいくつもの約束事を持っていて、それが常に論争の的になっています。20世紀のイギリスの作家ジョージ・オーウェルは、紅茶の完璧ないれ方について、少なくとも11項目の譲れない点があると書いている。
ところで日本の紅茶といえば大方がレモンティーですが、これはアメリカの影響でしょうか。イギリスでは断固ミルクティーです。何しろカップに注ぐのは紅茶が先かミルクが先かと、いまだに争っているくらいです。ミルクを先に入れるmilk in first(M.I.F)は、熱い紅茶を先に入れると熱でカップが割れたり茶渋が付くのを心配する貧乏人のやり方で、紅茶を先に入れるのが正しいとmilk in after (M.I.A)派は主張します。ちなみに、先のオーウェル先生はといえば、自分はM.I.A派だと書いています。その理由はミルクの量が調整できるからという単純なものでした。
最近は何でもペットボトルですから急須を知らないという高校生が居たりして、紅茶も家庭でもあまり飲まなくなったみたいですね。しかし
近頃はホテルやレストランなどで、英国風にアフターヌーン・ティーとか言ってセレブなおばさんたちが、何千円もはたいて紅茶を楽しんでいるようです。これも結構な話ですが、たまには我が家の高校生の息子や娘に急須でおいしいお茶を入れてあげましょう。