日本にワインブームの兆しが見えたのは、確か1970年代の初めだったか。その時期に私が勤務していた会社がヨーロッパ各国のワインを輸入する事になり、突然、ヨーロッパへの渡航歴がある私がその輸入ワインの宣伝物などの制作一切を任されたのである。それは無茶という物だが、上司はともかく何とかしろの一点張りだった。であれば、私はせめて4か国のワインの輸入先を訪ねる事を要求するも受け入れられなかった。そこで私はひと月の休暇願いを出し、単身その輸入先を訪ねる旅に出たのであった。
だが資金の関係もありヨーロッパ圏内はユーレイル・パスを利用しての列車の旅である。第一日目はパリから夜行列車に乗り、スペインを目指す。早朝にピレネーを超えるとメセタと呼ばれる広大な乾燥した台地が広がっている。これを見て「ピレネー越えたらアフリカだ!」というナポレオンの言葉を思い出した。だが、道はまだまだ遠かった。マドリッドに一泊しイベリア半島南端のアンダルシア地方のシェリー酒の町、ヘレス・デ・ラ・フロンテラにやって来た。そして私はこの町で造られている、この不思議な酒に引きつけられてしまうのである。そして、後年この国の個性的なチーズにも魅入られてしまい、以後この半島に何度か訪れる事になるのである。乾燥地帯が多いこの国のチーズは、小動物の羊や山羊のミルクからから造られるユニークなチーズが多いのも魅力であった。
最初に訪れたのはスペイン西部のポルトガルと国境を接するエストレマドゥーラ地方であった。見渡す限りの乾いた平原に羊の大群を放牧し、そのミルクからこの地方特有のチーズを造っているのだが、その時にミルクを固める凝乳剤が乾燥させたチョウセンアザミ(アーティチョーク)の雄シベだと聞いて驚いた。
古くはイチジクの樹液を使うという事は、歴史本で知ってはいたが、恥ずかしながらこの凝乳剤にはこの時に初めてお目にかかったのであった。これまでに、この国のチーズに触れるチャンスはなく、すべてが初対面であった。その時は中型の羊乳製のチーズを作る工房を訪ねたが、そこでは男女の従業員が楽しげにカードをモールドに詰めている所だった。熟成庫に案内されると、大量のチーズを乗せた熟成棚が波打っているのがほほ笑ましい。これまではチーズ工房といえば、かなり厳格な雰囲気のように思っていたが、この国の人達は、自国の空のように明るく楽しそうにチーズを作っているようだった。だが、現在ではヨーロッパのチーズ作りの現場全体はけっこう厳しくなり、このような光景は中々見られなくなったようだ。
さて、チーズ工房の見学の後は近くにある、これまたスペインの名品であるハモン・セラーノ(生ハム)の工房を訪ねる。20世紀後半の日本では輸入の生ハムには厳しい規制があり、この国の製品にはお目にかかる事すらできなかったから、生ハム好きの筆者は浮き足立った。スペインは生ハムの王国なのだが、これにはブランド名があって、ハモン・イベリコといえば、スペイン特産の黒豚のモモ肉を丸ごとハムに加工した高級品だから、生ハム狂いの筆者にはたまらない。この、広大なエストレマドゥーラの平原に大きなチーズ工場があり、その近くにはハムの工場があったから、この辺りの豚たちは羊乳製チーズから出るホエーをたっぷり飲んで育ったのだろう。こうして育てられたスペインの生ハムの旨さは突出していると思うがいかがだろう。他のチーズの旅でフランス中を回ったが、この国で美味しい生ハムにはなかなか出会えなかった。そもそもフランスは加熱ハムの国だから生ハムは少ないのである。
写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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