フランスとスペインの国境にはピレネー山脈が東西に走り、その西端の大西洋に近いところに古くから謎の民族バスク人が住んでいる、といってもほとんどの日本人には、何それ?といわれそうだが、400年程前に宣教師として来日したフランシスコ・ザビエルの事なら知っているだろう。彼はバスク人なのである。長くなるので詳しくは書かないが、この地方にはヨーロッパができ上る前から、独特な言語と文化を持った民族が長い間どの国家にも属さずに暮らして来た。現在では周辺の人達と変わらない生活をしているが、今も独自の言語を守り続けているという。日本でお馴染みのベレー帽はこのバスク人のファッショなのだ。さて、この民族が暮らしているピレネー山中にも、もちろんチーズはある。その一つがフランス側で造られるオッソー・イラティ(Ossau-Iraty)である。この地方では夏になると羊をピレネーの高地に追い上げチーズは山小屋で作られる。ある年の夏、このユニークなチーズを訪ねてバスク地方の山奥にバスを進め渓流沿いの宿に一泊。翌朝早くピレネーの国境沿いにある山小屋でのチーズ造りの現場を目指したのである。
だが、他の同行者たちには全く知られていない様だったが、上記の渓流の宿に着くまでに小さなサプライズがあった。このピレネー山脈を越える道はパリからサン・ティアゴ・コンポステーラに通ずる巡礼の道になっており、今はそのフランス最後の宿場町になっているのが、このサン・ジャン・ピエ・ド・ポール(略してサン・ジャン)という村だが、小さいけれど古い城門などがありとても美しい村である。我々チーズ探訪の仲間たちは何も知らず、昼食を取るためだけにこの村に立ち寄った。だが、私は何か心をかすめるものがあったので、食事を早めに切り上げ、この村を急ぎ足で見て回り写真を撮った。そして帰国後心当たりを調べて見ると、なんと1980年代に作家の司馬遼太郎氏が、ザビエルの足跡をたどる旅の途中で、この村に立ち寄っているのである。それはザビエルからほぼ400年後にこの町で生まれ育ったS.カンドウという神父の生まれ故郷を訪ねるためであった。この神父は日本にやってきて住み着き各方面で活躍しながら1955年に日本で病没している。司馬遼太郎氏一行はこのS.カンドウ神父の故郷を訪ねたのであった。
この町からピレネーを超え、50km先には一行の目的の一つであるザビエル城がある。我々は何も知らずに昼食を済ませると、すぐに、この歴史的な美しい村から立ち去ったのであった。ちなみにこの村は2016年に「フランスの最も美しい村」に加盟することを許されたという。
さて、前述の通り、バスクのチーズといえば、羊乳製のオッソー・イラティだが、私はピレネー山中で作られるこの素朴なチーズが好きだ。この時期は山の尾根筋に羊を追い上げて山小屋でチーズを造っている。早朝、出発の時から山は深い霧に包まれていて、曲りくねった山道を走るバスは怖かった。途中で何度も羊の群れに行く手を阻まれながら走り続け、やっと林の中に目的の工房が見えた。中に入るとこれまでに見た事もない小さな工房で、若夫婦が小さな男の子と生活しながら、まさに手作りでA.O.P.のオッソー・イラティを造っているのである。せまい工房に招き入れられた時にはすでにカードのカッテイングが始まっていた。その後の作業もすべてが手作業で、さまざまな工程を経て、この小さな釜から4個のグリーンチーズ(写真5)が誕生するのである。4個のチーズが素朴なプレス装置に掛け終わると、私はピレネー山中の絶景を期待して外に出てみたが相変わらずミルクのような濃い霧が山を覆っていた。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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