現在は行政圏名になっているが、昔からパリがある場所をイル・ド・フランス(フランスの島)と呼んでいた。国土の半分になんなんとするフランス北部の大平原を海に見立てていたのだろうか。昭和の後期に活躍した地質学者の日高達太郎氏はパリに住んで、フランスの国土をくまなく巡り食文化にも精通した人であった。私は氏のユニークな著作『ふらんす・味覚と風土』を愛読していたが、この本に「パリ盆地」について、およそこんな風に書かれている。「この広大な集積盆地は、東のロレーヌの台地から英仏海峡を越えてロンドン盆地まで伸びている」と。かつて英仏海峡は陸続きだったようである。今回の旅は、まさにそのロンドンからユーロトンネルを通ってパリに至り、そこからパリ盆地の中央を東に向けて走り、東部のナントから仏独国境の町ストラスブールに至るという壮大な旅であった。
この広大なパリ盆地はユニークなソフト系のチーズの宝庫で、見た事もないチーズが無数にある。西はカマンベールに始まり、数々のチーズに出会いながら東に進むとやがて東部の名品マンステルに至る。そして盆地の南のへりのロワール河沿いには絢爛たるシェーヴルの産地が並び、中央部には白カビの王者であるブリ一族が存在感を示している。更に盆地の北辺にはマロワールやラングルなどのウォッシュ系のチーズが異彩を放っている。この様に広大なパリ盆地はチーズが絶える場所がないのである。
しかし、チーズの旅というのは基本的には田舎回りだから、首都のパリに寄る機会は意外に少ない。今回はユーロスターの乗り継ぎで立ち寄ったパリに、様々な理由をつけて2泊し、2日後パリ東駅からユーロスターに乗り黄金色に輝く広大な麦畑の中を疾走していった。
次の泊りはフランス東部のアール・ヌーヴォー発祥の地として知られるナンシーである。というより、今ではマドレーヌやサヴァランなどの発祥の地として、お菓子好きの女性たちに人気の町らしい。広場にはお菓子好きで知られるスタニスラス公(ルイ5世の王妃の父)の像が立っている。
今回ナンシーの町に滞在したのは近くにあるブリの大きな工場や、マンステルの工房を見るためだったが、この種のチーズの工房はすでに何度か取材したことがあるので、新しい発見はなかったが、ナンシーで度肝を抜かれたのはこの町のチーズ売場であった。これまでチーズの産地を訪れると、朝は早起きして宿泊地の市場や露店市などのチーズ売場を取材することにしているが、この町の公設市場でのチーズ売場は大きく、その種類の多さもさることながら、そのボリュームがすごかった。
だが、更に朝食後に訪れた郊外のチーズ専門店のスケールはさらに大きく思わず絶句した。その店は写真5のように陳列棚が3段になったL字型の長いショーケースで30mはあっただろうか。棚はチーズが美しく見える様に黒で統一され、そこに包装紙を取り払ったチーズが美しく並べられている。そして、そのわきには控えめのプライスカードが添えられているだけだから、写真うつりが実にいいのである。幸い開店直後で来客が少なかったので撮影はしやすかったが、あまりにも品数が多いので焦りが募る。決められた時間ですべてを取るのは不可能だったが、ともかくあまり深く考えずにシャッターを切りまくったのである。
この様に盆地の地方都市にあるチーズ売場を見るにつけ、パリ盆地のチーズの種類の多さ、多彩さに改めて感動するのである。これまでに30年以上チーズの産地をめぐり写真を撮ってきたが、このナンシーの市場を見て、まだまだ入口だなと思ったのであった。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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