『アルプスの少女ハイジ』はお好きでしょうか。ヨーロッパのチーズ文化を知るうえでアルプスは非常に重要な存在です。そして日本人がこの広大な山岳地帯をイメージするとき、『ハイジ』による影響ははかり知れないものがあります。
アニメでチーズを焼くシーンにあこがれた人は多く、それをきっかけにチーズ好きになったという話も聞きます。原作でも、山での日々の食事としてヤギ乳とチーズがたびたび登場します。登場するチーズは何か、というのはよく話題になります。原作ではヤギ乳の、アニメでは牛乳のハードタイプ(ベルクケーゼ)なのだと思います。
『ハイジ』はすぐれた児童文学であり、キリスト教文学、山岳小説でもありますが「チーズ文学」といってもいいでしょう。
原作『Heidi』はスイスの作家ヨハンナ・シュピーリが1880年(日本では明治13)に発表した小説です。原作も日本のアニメも世界的な名作なので、関連本も多く出版されています。それを分類してみると、以下の5つになるでしょうか。
①物語 ②紀行文 ③文化論 ④自己啓発 ⑤二次創作
①は、原作の翻訳、児童向けリライトやアニメ絵本など、たくさん出ています。
初の日本語訳は1920年(大正9)、小説家・野上弥生子が英語から重訳したもので、1991年に岩波文庫で復刊されています。趣のある訳だと思います。
完訳としては福音館書店(矢川澄子訳 1974)版と岩波少年文庫(上田真而子訳 2003)版が定番です。そこに今年(2021)は新訳が、なんと2つ出ました。角川文庫(松永美穂訳)と光文社古典新訳文庫(遠山明子訳)です。読み比べるのも楽しいですよ。
②はハイジに強くあこがれて現地を訪ねた紀行文。その気持ちに沿うと楽しく読めます。『ハイジ紀行』(新井満・新井紀子 白泉社1994)など、いくつか出ています。実際にハイジ旅行をした方に聞くと、観光地となっていて干し草のベッドもあるとか。チクチクして眠れなかったそうです。
③の文化論(時代背景、宗教、歴史など解説)が近年多く出ているのが興味深いことです。『図説 アルプスの少女ハイジ 「ハイジ」でよみとく19世紀スイス』(ちばかおり・川島隆 河出書房新社 2013)、『「ハイジ」が見たヨーロッパ』(森田安一 河出書房新社 2019)などは読んで楽しく、チーズについての考察もされています。
『NHK 100分de名著 シュピリ アルプスの少女ハイジ 「喪失と再生」の体現者』(松永美穂 2019年6月号)も熱のある内容でした。
④は「ハイジに生き方を学ぶ」というタイプ。アニメではキリスト教信仰の要素は排除されたようにも見えますが、それでもなお哲学的な物語であり続けています。牧師さんによる解説『名作なるほどガイド ハイジの贈りもの』(たかはしたけお フォレストブックス 2015)は、両者の宗教哲学が理解しやすいと思います。
⑤はいわゆる「勝手に続編」です。いくつか出版されていますが、ファンには賛否分かれるところでしょう。ロッテンマイヤーさんを主人公にしたスピンオフ『ハイジをいじめた人』(大塚智恵子 文芸社 2019)など、着想がおもしろいと思います。
『ハイジ』でぼくが好きなシーンは、夕焼けで赤く染まる山肌を見て「山が燃えている!」と叫ぶところ。宮嶋望さんの「赤い夕陽のエネルギーがチーズの熟成を助ける」という言葉が思い起こされるではないですか(『いのちが教えるメタサイエンス』(宮嶋望 地湧社 2011)など)。だから「チーズ文学」だ、というつもりはないのですが。