世界のチーズぶらり旅

チーズ伝播の経路アナトリア半島をゆく

2021年3月1日掲載

1.ヒッタイト帝国の首都ハットウシャの遺跡

チーズが最初に作られたのはどのあたりかという事は、おおよそは分かっているらしいが、その年代の特定はむずかしそうである。チーズというのはミルクを凝固させ、分離してきた水分(ホエイ)を何らかの道具で漉(こ)し取ることによってできる。だがこの道具が草や木で作られたものであればすぐに風化して残らない。考古学的には陶器など年月に耐えるものでなくてはならない。近年それらしき物がトルコ東部の紀元前6000年辺りの地層から発見され、遺物に付着したわずかな物質が乳由来の物と判定され、チーズの歴史は一気にこの年代に遡ることになる。最初メソポタミアでつくられたとされるチーズは、やがてアナトリア半島(現在のトルコ)を経て東西ヨーロッパに広がっていったとされているが、当時この地に繫栄していたヒッタイト人が、動物性のレンネットを使いこなし、乳をしっかりと凝固させ様々な大きさや硬さのチーズを作ったのだという。トルコへの旅立ち前にこのような知識を詰め込んでからアナトリア半島のチーズの旅に上ったのである。

2.ホテルの朝食で出されるチーズの一部

今も変わらないが、当時の日本ではトルコのチーズは全く知られておらず、従ってトルコ・チーズを探る旅などの企画はなかった。仕方なく遺跡を巡るツアーに便乗し宿泊地のスーパーなどでトルコのチーズの実態を探ろうという魂胆でこのツアーに参加したのである。だがその成果は予想外に大きく旅行中は毎日大量のチーズを食べる事になった。
トルコ国内をめぐるバスツアーは大都市イスタンブールから始まり、型通りエーゲ海沿いに南下していくのだが、遺跡のある場所は田舎でスーパーは少ない。その分ホテルは大きくて立派だ。そのホテルで最初に驚いたのは朝食だった。なんと広い食堂の真ん中にチーズを種類ごとに盛り付けた大皿が並び、そしてその横にはフルーツやハーブを添えたヨーグルトの器が並ぶ。大方のホテルの朝食はほぼ同じスタイルで、トルコではチーズは朝食に大量に食べたられている事を知るのだが、なぜか、白いフレッシュ系のチーズがほとんどなのである。

3.毎朝数種類のチーズを試食する

バスは定番通り、かの有名な巨大な木馬があるトロイを皮切りにローマ時代の遺跡を見ながらエーゲ海沿岸を南下し遺跡群のあるクシャダスから内陸に入る。最初から旅の目的が違いあまり期待していなかったが、道筋には数千年前のものという町の遺跡や円形劇場跡などが次々に現れ、それはそれで大いに興味を引かれた。トルコ国内は遺跡だらけだから世界遺産クラスの遺跡でもさほど観光客は多くない。その時不思議に思ったのは遺跡のかたわらや草むらには、牛や羊のフンがたくさん落ちている事だった。その後すぐに納得するものが現れた。

4.古代遺跡の中をゆくヒツジ達

古代の広い墓地を見学していた時、いきなり50頭ほどのヒツジの群れを率いた遊牧民が現れた。なるほどヒツジ達に遺跡の除草をさせているらしい。写真を撮ろうとするとチップを要求されたので金を支払い、遊牧のおじさんとヒツジの群れの写真を撮った。その後型通り内陸部の奇勝地であるカッパドキア。そして今回のテーマである、ヒッタイトの都だったハットウシャを見てから夜行列車で早朝のイスタンブールに戻る。ホテルに荷物を置くとすぐに近くの市場、エジプシャン・バザール直行すると、そこにはチーズの屋台がずらりと並んでいた。だがチーズの量は膨大だが種類は少ないのである。朝市でお客が買っていくチーズは、写真のような白いフレッシュタイプのブロックばかりである。それも1kg以上のブロックがよく売れていた。熟成タイプのチーズは別の専門店で売られていたが種類は少なそうであった。

5.イスタンブールの朝市で売られる白いチーズ


 

 

 

 

 


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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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