将軍様はオランダチーズを召し上がったのか
司馬遼太郎氏の街道をゆくシリーズに「オランダ紀行」というのがあります。その中で司馬氏は珍しくチーズの事に、かすかに触れている。「チーズを作る桶がある。昔、銭湯に置かれていたような大きさで、スペインとの戦いの時オランダ市民はチーズの桶をかぶって、スペインの正規軍と戦ったといわれる」と。そして1574年、当時世界最強といわれていたスペイン軍を打ち破り、オランダは世界初の市民社会を誕生させるのです。その時市民がかぶって戦ったという木桶は、ゴーダ用のものであったかという事が気になるけど、大きさや生産量の多さからいえば、その可能性は高いでしょう。写真の木桶は新しい時代の物ですが、昔のチーズ作りにはこの様な木桶が使われていたんですね。
以後オランダは酪農を基幹産業に据え、チーズは保存性を重視して製法を改良しヨーロッパ市場に進出します。時は大航海時代、船旅にも耐えるよう改良されたゴーダとエダムは船員の食料となって世界の海に出ていくのです。日本の鎖国時代、ヨーロッパの国で唯一交易を許されたオランダは長崎の出島に商館を構えます。彼らは日常の食料のほとんどを船に積んでヨーロッパから喜望峰回りで運んでくる。その中にゴーダとエダムも入っていたのです。その事をどのように察知したのか、1691年に時の将軍徳川綱吉の側近から、オランダ商館へ、エダムとゴーダを献上せよとの要請が届き、これらのチーズは江戸に上ることになるのです。そして、将軍様はこのチーズを召し上がったのか。「チーズの教本2019」の歴史の項を執筆された和仁晧明博士によれば、正式な献上品としてこれらのチーズの記録はなく、多分側近達が賞味したのではないかという事でした。でも不思議なのは将軍の側近がなぜオランダチーズの事を知っていたのか。それはとも角として冷蔵庫のない時代、船旅に耐えて日本にやってきたオランダチーズの保存性の高さは驚かされます。
さて、日本のチーズといえばプロセスチーズ全盛の時代が長く続き、今でもスーパーの売り場にたくさん並んでいますね。このプロセスチーズとは、一般的にはセミハード系のナチュラルチーズを加熱熔融し無菌状態でパックしたものです。加工の目的は保存性を高めるためだから、味はどうしても均一でフラットになる。最近では様々なプロセスチーズが作られていますが、最初その主原料となったナチュラルチーズが、オランダ原産のゴーダ・チーズだったのです。なぜ、このチーズが選ばれたのか。
日本では1870年代、北海道でアメリカ人の指導によって初めてチーズが試作されました。それから約半世紀後に、酪連(雪印の前身)という会社が、千歳空港の近くにチーズ工場を建設。当時、北欧で酪農とチーズを学んだ日本人の指導者の助言により、日本人の味覚に合いそうなゴーダとエダムの生産を始めるのです。しかし、ナチュラルチーズの流通システムが皆無だった当時、中型でセミハード系のゴーダはプロセスチーズとなって日本の市場に出ていくのです。この様に多くのヨーロッパのチーズの中から、不思議な縁によってオランダチーズが日本のチーズの味のスタンダードになっていくのです。
九州ほどの広さでネーデルランド(低地の国)と呼ぶオランダはその名の通り沼地や泥炭地が国土を覆い住む人は少なかった。やっと10世紀になって土地の領主や僧侶達が住民と共に土地の改良に着手。数百年かけて堤防を築き沼地を干拓し緑豊かな国土を作り上げる。そして、そこで生まれたチーズが世界に向けて船出していき、やがて日本にもやってきて花を咲かせるのです。「世界は神がお創りになったが、オランダはオランダ人が作った」という有名な言葉があるけれど、オランダ人は遠い日本国のチーズをも造ったのです。
©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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