ロワール川のおいしい三日月地帯
フランスの中央高地にその源を発し北に向けて流れ下るロワール川は、パリまでおよそ100kmの時点で流れを大きく西に変えて大西洋にそそぐ。その大きくカーブした所を、筆者は古代メソポタミア文明の発祥の地にちなんで「おいしい三日月地帯」と呼ぶことにしている。もともとロワールの下流域はサケ、マスやカワカマス、ウナギなど川魚の宝庫でもあり、沿岸には、快適でバラエティー豊かなワインの産地がつらなっている。そしてチーズといえば、いわずと知れたフランスを代表するシェーヴルの産地なのである。
この地を最初に訪れたのは、ロワールが西に流れを変える少し南にあるサンセールの町であった。その近くにはCrottin(馬糞)という名のシェーヴル・チーズの名品を生んだシャヴィニョル村がある。まずはこのクロタンをサカナにサンセールのワインを飲むという野望を抱きロワール河の見えるレストランに入る。するといきなりサプライズがあった。当時パリで流行していた、クロタンをローストしサラダに仕立てた一品が出たのである。
そこで、このサンセールを起点にロワールのおいしい三日月地帯をゆくと、まずはジャンヌ・ダルクがイングランド軍を破ったという伝説の町オルレアンがあり、そのすぐ南の村には100年ほど前に、リンゴのタルトを裏返しに焼いてしまい、それが評判になりタルト・タタンの名で世界中に知られるようになった、ホテルTATINがあり今も営業している。そして、そこから西に広がるロワール川が開いた平原にはこの地方特産の個性的なシェーヴルの産地が連なっているのである。中でも饅頭型のセル・シュール・シエール、海苔巻き状のサント・モール、踏台型のヴァランセのどれもが炭の粉をまとった異様な姿で現れ、これら三種のそろい踏みに出会った時の衝撃は忘れられない。そして、その後、すぐに踏台型のチーズの村を訪ねる事になる。
その村はロワール川から、少し南に下った深い森の中にあり、そこには瀟洒なヴァランセ(Valençay)城があった。だが、この田舎の静かな城には壮大な物語がある。19世紀のナポレオンの時代に、この城はフランスの美食外交の舞台として重要な役割を果たす。大貴族の出身ながらフランス革命をくぐり抜け、ナポレオンの時代には外務大臣として敏腕をふるったタレイランが1803年にこのヴァランセ城を買い取る。そして宴会が苦手なナポレオンに代わり、この城に各国の重要人物を招き、得意な話術と美食術を駆使して要人達をフランス側に取り込んでいくのである。
筆者が30数年前に最初にこのヴァランセ城を訪れた時には、200年以上前に美食外交を支えた立派な厨房を見せてもらったが、そこには後に「国王のシェフかシェフの帝王か」といわれたアントナン・カーレムのポートレートが飾られていた。そして、その日のディナーの席で、ヴァランセというチーズについてこんな話を披露してくれた。ナポレオン皇帝の時代に外務大臣となったタレイランとはお互いに相いれない性格で、しばしば衝突を繰り返していたが、卓越した外交手腕と欧州各国の要人に影響力を持つ彼を首にはできず、ことあるごとに怒鳴りつけていた。そんなある日、ナポレオンの元にタレイランからピラミッド型のチーズが届く。エジプト遠征の失敗への強烈な皮肉である。それを見たナポレオンは激怒し「チーズの上を切れ!」と命じたとか。哀れナポレオンの怒りによって、きれいなピラミッド型のチーズだったヴァランセは、今のような踏台型になってしまったというのである。真偽のほどはとも角、なかなかよくできた話で、この地味なチーズの宣伝コンセプトとしては秀逸である。2014年に日本で出版されたパリのチーズ商マリー・アンヌ・カンタンのフランスチーズの本にもこの話が紹介されている。こうして、最初のロワール流域のシェーヴル・チーズの旅は実り多いものになったのである。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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