世界のチーズぶらり旅

氷河の谷で作られるチーズ

2020年8月1日掲載

氷河の谷で作られるチーズ

1カールの底にあるモレーンの台地

登山に入れ込んでいた若い頃、日本に「アルプ」という登山者向けの月刊誌を愛読していたが、当時はその誌名をアルプスの省略語で登山用語だと思い込んでいた。当時の山男達にとって、本場のアルプスの山々は夢のまた夢であったのだが、時は疾く流れ、ヨーロッパのチーズに関わるようになってから、再びこのアルプ(Alpe)という言葉に出会う。そこで、この言葉の詳しい意味を調べてみた。

2アルプに咲く無数の草花

アルプとは当然アルプス山脈に関する言葉だが、ヨーロッパ・アルプスには最高峰のモン・ブランを筆頭に標高4000m超の山が10座ほどある。これらの高山には今でも氷河はあるが、他の2~3千mクラスの山には、氷河はほとんど残っていない。だが地球が寒かった時代に存在した氷河によって削られた、いわゆるU字谷(カール=kar。日本語では圏谷という)を持つ山が今も無数に存在するのである。お椀をたてに割った様な形のU字谷の底には、氷河によって削り取られた岩石や砂などが堆積したモレーンと呼ぶ台地があり、そこに広がる草原をAlpeと呼ぶのだそうである。そして夏場にその草地に家畜を追い上げて放牧し、チーズなどをつくることをアルパージュ(Alpage)というのである。 

3アルパージュのチーズ作り

ヨーロッパのチーズを少し勉強した人なたらアルパージュという言葉や、ここでつくられたチーズは、特別おいしくて人気があることはご存知のようだが、それはなぜかと問えば、大方は、空気もきれいで夏は涼しくストレスもないから、などと答える。牛は暑さに弱いのでそれもあるかも知れない。だが、最も重要なのは餌になる草の種類の多さにある。筆者もアルプの草原の写真を何度も撮ったが、植物の種類の多さは半端ではない。

4ジュラ山地の草原

このことはアルプスに近いジュラ山地でチーズを作る、コンテの共同組合のリーフレットにはこんな記事がある。「コンテのAOC認定地域全体には576種類の草花があり、それぞれのチーズの生産地域には平均して130種の草花がある」と。

コンテが作られるジュラの山地は高度も低く、アルプスとは成り立ちが少し違うので、同じ条件ではないと思われるが、高度差が大きいアルプスの多様な自然条件の下では、ジュラの山地より多くの草花が咲いていそうである。春になると土地のチーズ職人達はこの草原を目指して牛達と共に山に向かい、アルプの花園に囲まれたチーズ小屋に寝泊まりし、毎日乳を搾りチーズを作るのである。最近では山岳地帯の悪路をものともしない強靭な車が、アルプで作られたチーズを谷間の村の熟成庫に運び熟成させることもあるようだが、しかし、より良い草を求めて牛を移動させながら2000m級の高原で毎日チーズを作るのは並大抵のことではなさそうだ。しかし高度のあるAlpeから眺める周囲の山々の姿は壮絶と表現したいほど美しく、かつての山男はしばしば茫然となってしまうのである。

5谷間では乾し草造りが始まっていた

アルパージュに別れを告げ谷間に降りてくると、そこでは冬用の乾し草作りが行われていた。しかし、人が畑で育てる牧草はせいぜい2~3種類である。日本などの普通の牧場には、人が開いた牧草地があり、数種類の草(牧草)の種を蒔いて育て、牛を放牧するのが普通で草の種類は多くて2~3種類であろう。そして、夜は牛舎に入れて補助的に濃厚飼料と称する穀類などを与える。これではミルクの味や成分が画一的にならざるを得ないが、平地では大量生産が求められるのでやむを得ないことである。しかし、アルパージュといっても高地に行くのは春から秋口にかけての事で、冬場は牛達も谷間に降りて畜舎で過ごし人が育てた乾し草を食べて過ごすのである。従ってアルプス山中にあっても、冬はアルパージュのチーズはできないのである。