「リ子ット」、何?
日本人が初めて学んだチーズ作り
今回はのっけからクイズです。「リ子ット」とはどういう意味でしょうか。
この言葉は『乾酪製法記』(写真1)という明治10年に書かれた古文書に登場します。ちなみに、「乾酪」とはチーズのことで、仮名垣魯文(かながきろぶん)という人が書いた『安愚楽鍋(あぐらなべ)』という本(明治4年)の挿絵に「日の出」という店が描かれており、店ののれんに「乾酪 チーズ」と書いてあります(写真2)。
乾酪製法記は墨書本であるため、私にはまったく読むことができません。しかし、ラッキーなことに和仁皓明先生が活字体に翻刻し、若干の解説を加えたものが東亜大学紀要(no5, 2005とno6, 2006)に収録されています。この翻刻版を読んだのですが、日本語そのものが現代日本語と違っており分かりにくいのは変わりません。それでもおぼろげながら概要を知ることができました。
『乾酪製法記』の著者である迫田喜二は薩摩藩の侍で、倒幕戦争や会津戦争に従軍した後、明治5年(1872年)に北海道の開拓使役人として七重勧業試験場に勤務しました。この頃北海道の開拓を指導したのは、ケプロン、エドウィン・ダン、クラークなどアメリカ人でした。そして、七重勧業試験場にて日本で最初のチーズが試作されたと伝えられています。迫田喜二らは七重勧業試験場にて、アメリカ人からチーズについて学びました。『乾酪製法記』はその際の学習ノートを整理したもので、恐らく日本人が最初に学んだチーズ製造方法だと思われます。
さて、謎の「リ子ット」ですが、「リコッタ」のことかなと誰でも思いますよね。でもそれでは文意が通りません。和仁先生に伺ったところ「子」は十二支“ね・うし・とら・・・”の子、すなわち「ネ」と読むのだそうです。したがって、「リネット」です。リネット、リネット、・・・レンネットだ!
この学習ノートには、チェダー、チェシャー、スチルトン、エダム、ゴーダ、パルメザンなど思いのほか多種類のチーズが登場しています。また、テスターでチーズに穴を開けてワインやビールを流し込むものもあると書いてあります。テスターといえば電圧や電流を測る計器ですが、この場合は・・・?トライヤーのことでしょうか?
搾乳からチーズの“成熟”(=熟成)に至るまで、温度管理についてはくどいほど細かく記録されています。乳に手を入れて温度を推し測ってはいけない、必ず「寒暖計」を使うこと、温度を上げる方法、冷却する方法など・・・。なお、アメリカ人から学んだせいか、温度は全て華氏表示になっています。恐らくアメリカから持ち込んだ寒暖計をそのまま使用していたのでしょう。その一方で、pHについては何も書いていません。pHに相当する用語として“酸気”という言葉が使われており、酸気がチーズの物性に影響することは認識されています。しかし、ソーレンセン(Sörensen)がpHの概念を打ち立てたのが1900年頃ですので、適切な“酸気”を把握することは大変難しかっただろうと思います。さらに、「乳糖が“酸化”されて乳酸になる」と認識されており、乳酸菌の働きによって乳酸になることは一言も書いてありません。乳酸菌が分離されたのは1873年(明治6年)ですので、明治5年頃では乳酸菌により乳糖から乳酸が生じることやチーズの成熟中に乳酸菌によって風味が形成されることなど知る由もありません。チーズを成熟する場所は搾乳した乳を置く家屋近辺、あるいは牛舎の端に付属して設置し、格子窓を設け、木または竹で棚を作りチーズを保管し、時折反転させると書いてあります。比較的涼しく、風通しのよい場所が適していると書いてあります。竹の棚と木の棚では熟成させるチーズにどのような違いが生じるのでしょうか。興味深いです。
この古文書を読むと明治初期の、そしてそれ以前からヨーロッパで作られていた伝統的なチーズがどのように作られていたのか、何に気を付けて作っていたのかを知ることができます。乳の凝固や熟成に乳酸菌が働いていることを知らず、pHや酸度を正確に測ることも知らずに作っていたのです。なので、製造日によってチーズの出来栄えが異なり、それが当たり前と考えていました。しかし、地球温暖化が進行するとやがて気温、雨量などが変化し、牧草の植生や環境中の菌叢も変化します。今のすばらしいチーズを作り続けていけるのでしょうか?