美食家といわれるナポレオン伝説の真実は?
カマンベール誕生の歴史を探る時、登場するのがナポレオンです。鉄道開通の式典にノルマンディー地方を訪れた彼は、この地方の名品カマンベールを献上され、そのおいしさに熱狂したという話があるのですが、でもこれはナポレオン1世ではなくナポレオン3世なのです。
しかし日本でカマンベールが作られ始めた頃、この話の主人公はナポレオン1世として流布されていました。でも、ナポレオン・ボナパルトの時代には、まだカマンベールは知られていなかった。しかしそれから100年後位には、このノルマンディーの田舎育ちのカマンベールは突如パリで人気者になります。するとフランス国内ではカマンベールの模造品が無数につくられ、そんな中で少しでも権威をつけようとしてか、そのチーズのラベルにナポレオン1世が登場するのです。
ナポレオンは美食家であったか。彼が生を受けたのは地中海に浮かぶコルシカ島で、生家のあるアジャクシオの広場には彼の像が立っています。彼は15才でパリの陸軍士官学校に入るとすぐに頭角を現します。やがて砲兵士官となった彼が皇帝までのし上がるきっかけは、1793年に南仏の港町トゥーロンの会戦で砲撃の指揮官として目覚ましい戦果を上げ破格の昇進を遂げてからです。このとき彼はまだ24歳でした。その後、彼は豊かな才能と強烈な個性、そして、いくつかの幸運が重なり11年間でフランスの「皇帝」にまでのし上がる。その間ナポレオンは多くの時間を戦場で過ごします。この様に年少期は寄宿舎生活、長じて多くの時間を戦場で過ごし、常に緊張の中で食事を掻っ込んでいたナポレオンが美食家になるとは考えにくいのです。
しかし、皇帝まで上り詰めた彼の所にはフランス中から美味佳肴が集まってきたことは想像できます。いつの時代にも権力者の元には一流品が集まってくるからです。しかし、ナポレオンは空腹の時には料理がすぐ出てこないことにいら立ち、料理が出されると10分ほどで済ませたといいます。「マレンゴ風鶏肉の煮込み」というナポレオンのお気に入り料理がありますが、これは1800年に北イタリアのマレンゴ村での戦いの時に生まれます。食糧の馬車が到着しないため、お抱えの料理人が大急ぎで、せっかちなナポレオンのために、近所の農家を回り鶏と卵、そして、畑からはトマトやニンニクなどを調達し、さらに小川で付け合わせのザリガニを捕まえ手早く料理したとのこと。それがナポレオンに大いに気に入られ、この料理は後世に残ることになるのです。しかし。これとて野戦料理の一つで技巧を凝らしたグルメのための料理とは言えそうもないですね。
ナポレオンが食通だったと主張する人があげる理由の一つに、彼はブルゴーニュの銘酒シャンベルタンを戦場でも飲んでいたという事でしょう。1812年にモスクワまで遠征した時、不利な戦況にいら立ち彼は食事を拒否して一杯のシャンベルタンとパンだけで済ませたという記録が残っています。
最近出版された『チーズの辞典*』という本には「美食家ナポレオンはエポワスとシャンベルタンとの味のハーモニーを楽しんだ」とあります。エポワスはブルゴーニュ産のチーズで、大食通のブリア・サヴァランが「チーズの王」といったという名品です。その彼の著書『味覚の生理学』(日本語訳=美味礼賛(上)岩波文庫)の中に、要約するとこんな記述がある。
「グルマン(美食家)になろうとしてもなれないタイプの人がいる。その一人がナポレオンである。彼の食事の時間は不規則でそそくさと何でも食べた」と書かれているのです。
*『チーズの事典』誠文堂新光社 2,200円+税 <HP>
©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
*禁無断転載