古代チーズ伝播の十字路をゆく
重層な歴史が積み重なるアナトリア半島へトルコ・チーズを探る旅に出かける時、合わせて古代チーズに関する物語がある場所が見たかった。C.P.A.発行『チーズの教本』の「チーズの文化史」には、チーズの伝播ルートの地図が掲載されている。それによれば、チーズは世界最古の文明が花開いたメソポタミアで発生し、それが、大きく西と東に分かれて伝わっていく。そして西に向かったチーズは、現トルコのアナトリア半島を通過するときに、当時繁栄をしていたヒッタイ文明に触れチーズは進化したと書かれている。以前からこの話を聞いていた筆者はトルコ周遊の旅の折に、B.C.1500年頃に繁栄したこのヒッタイト民族の遺跡を見たいと思ったのである。いま一つは、紀元前8世紀頃の作といわれる、ギリシャの吟遊詩人ホメロスの2大叙事詩である「イリアス」と「オデュッセイア」の舞台になったトロイの遺跡とエーゲ海も見たかった。これらの作品にもチーズが登場するのである。
まずは、イスタンブールからマルマラ海の出口のトロイの遺跡に近い町のホテルに宿泊したのだが。まず初日の朝は大皿に盛られた大量のトルコ・チーズの洗礼で心が躍った。朝食が終わるとすぐトロイの遺跡見物だ。心がはやる。若い頃に見た「トロイのヘレン」というアメリカ映画では、海辺に建つ巨大な城郭にはばまれたギリシャ軍は10年間も城を落とせない。ある日、兵を隠した巨大な木馬を城に引き入れさせるという策略で城を落とすという大スペクタクルであった。この物語はホメロス作の「イリアス」から題材を取ったものだが、本物のトロイ戦争はB.C.1200年頃という。そんな知識の切れっぱしを抱えてトロイの遺跡に降り立って、まず驚いたのはその遺跡の小さい事であった。数メートルの高さに積まれた迷路のような石垣はせいぜい直径300mである。期待外れで心が萎えかかったが、それに比べて目を引いたのは観光用のバカでかい木馬であった。
このイリアスの物語に続くのが「オデュッセイア」で、トロイ戦争に勝利したギリシャ方の武将オデュッセウスが、エーゲ海をさまよい10年かかって故郷に帰る話で、この二作がホメロスの2大叙事詩といわれている。そして、これらの作品の中に、およそ2800年前のチーズに関する話がでてくる。イチジクの樹液が乳を凝固させる情景や、青銅のおろし金でチーズをおろす話。そしてオデュッセイアでは一つ目の巨人がチーズを造る情景が描かれているのである。トロイ遺跡のショックを胸に収め、地中海沿岸のローマ時代の遺跡に残る生活の痕跡を探して写真を撮りながら、内陸のカッパドキアに向けて旅をつづけた。救いは毎日朝食に出されるトルコのチーズである。ほとんどがベィーヤズ系と呼ばれる、フレッシュな白いチーズなのだが、地方により羊、山羊、牛、水牛などの乳で作られるため、そのつど味が違うので楽しみだった。
最後はヒッタイト文明が繁栄したハットウシャの遺跡だ。ここはトルコのほぼ中央にあり、他の遺跡群からは離れているのだが、カッパドキアの北にあり首都アンカラへの道筋なのでこの遺跡がある村を目指す。広大な大地を貫く何十キロも信号のない道を走り、遺跡にたどり着くと、そこには緩やかな斜面に建物の残骸らしい石積みと広い石畳が続いているだけで人影はない。時折牛の群れが横切っていくという世界遺産であった。
©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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