世界のチーズぶらり旅

沖縄のシェーヴル・チーズ「白いヤギ」誕生秘話

2018年4月1日掲載

沖縄のシェーヴル・チーズ「白いヤギ」誕生秘話

はごろも牧場の山羊達

沖縄には山羊の肉を食べる文化がある。であれば山羊乳の文化もあるはず、と単純に考えていたが、それは全くないのである。当然、山羊乳チーズもなかった。だが、21世紀に入ってから、沖縄でも山羊乳チーズが作られているという話を聞いて、今年の1月の末に沖縄をたずねた。長年、那覇でチーズの教室を主催しチーズの普及に力を尽くされている、CPA会員の國場百合子さんに案内をお願いしての沖縄のチーズと食の旅である。
真冬というのに、南国沖縄は木々の緑が多く、道端のそこここに草花が見える。そんな道を那覇市から北東へ10kmほど行った所の中城(なかぐすく)村を目指す。沖縄特有の曲がりくねった道をゆくと、ほどなく中城湾を望む高台に「はごろも牧場」と銘打った山羊の牧場があった。車を止めると、牧場主の新城将秀氏が仔山羊を引き連れて現れた。冬は出産の季節なのだろか仔山羊達が足にまとわりついてくる。ここでは県の畜産研究センターと共に肉用山羊の新品種創出にも取り組んでいるが、この牧場こそ沖縄で初めてシェーヴル・チーズを誕生させた牧場なのである。山羊小屋を見学しながら新城氏の山羊に対する熱い思いを拝聴。その後山羊舎の前に設えたテーブルで、沖縄産シェーヴルの試食である。その名は「ピンザ・ブラン:Pinza Blanc」。白カビをまとった真っ白いチーズだ。

沖縄産初のシェーヴル


ピンザとは宮古島の言葉で山羊、ブランはフランス語の白。國場百合子さんのグループによって命名されたという。新城氏は、かつては建設業を営んでいたが長引く不況下で、新事業として1999年に山羊の牧場を開く。たまたま沖縄で開かれた「全国ヤギサミット」で山羊乳の優れた特性を知り、山羊のミルクやヨーグルトの販売を始める。そして、すぐに独学でチーズを作りを始めるのだが全くのシロウト。周りに相談する人は皆無だった。失敗を重ね、3年目にどうにかそれらしきものができたが、これがチーズと呼べるかと自問自答。そんな時、國場さんがチーズ普及の功績により、フランスから「チーズの騎士」の称号を授与され、その事が地元紙に掲載される。これを見た新城氏はすぐさま、國場さんの門を叩くのである。だが持ち込まれたものは、これがチーズ?と思ってしまいそうなものだったが味は意外によく、これは何とかなるかも知れないと思ったそうだ。

新城氏とチーズの試食


そこから國場さんと新城氏の濃密なバトルが始まる。國場さんはチーズ教室の仲間と共に、試食を繰り返し厳しい評価と高レベルの要求を作り手に伝える。と同時に東京の専門家に試作品を持ち込んで教えを乞う。こうした苦闘の末2005年に沖縄初のシェーヴル・チーズは「ピンザ・ブラン」の名でデビューを果たす。これは地元紙にも取り上げられ話題になった。しかし、これでハッピーとはならない。頑張ればチーズはできるが、これをチーズ文化の希薄な沖縄で販売し採算ベースに乗せるのは作るより難しそうだ。もともと異業種からの転身だから販売ルートもツテもない。小規模の手作りだから、安定した生産量は望めない。我々がこの牧場を訪ねたのはピンザ・ブラン誕生から13年目だったが、新城氏はすでに高齢ながら後継者もなく、設備の更新ままならず悩んでおられる様子だった。そしてこの原稿を書いている最中に「はごろも牧場休業」の報が届いた。予想はしていたが非常に残念、惜しいという思いが募る。だが、初の沖縄産シェーヴルという金字塔を打ち立てた「ピンザ・ブラン」は新しくチーズ作りを目指す人達に勇気を与えるだろう。

白カビをまとったピンザ・ブラン