フランスの北東部ロレーヌ地方の町ナンシーといっても、日本の観光客にはあまり知られていないが、アール・ヌーヴォーのファンなら一度は訪れたい町であり、お菓子が好きな向きには興味を引く町ではないだろうか。というのはお馴染みのマドレーヌや、今ではサヴァランの方がわかりやすいババ、最近人気がでてきたるマカロン、ベルガモット・キャンデー、メレンゲなどフランス菓子にはこの町ゆかりの物が多いのである。そのわけは、かつてこの地方をお菓子の国にしたとされる殿様がいたからである。
写真の像は18世紀の中期にこの地方を治めたスタニスラス・レクチンスキー公(読み方はいろいろある)である。彼はひょんなことでポーランドの王になるが、やがてその地位を追われ、フランス王ルイ15世の王妃の父であったことから、フランス王の庇護のもとにロレーヌ公領を与えられる。文化的素養のあった彼は、自らアカデミーを創設するなど科学や文化の発展に努め、ナンシーの街を改造するなど、当時としてはよく働く殿様だったようだ。
彼は大変な食通であったらしく、お菓子にまつわるエピソードが多い殿様でもあった。アルザスからロレーヌ辺りでよく作られていたクグロフがパサつくのを防ぐために、ラムシロップに浸すことを考えつき、これに彼が愛読していた「アリババと七人の盗賊」からとってアリババと名付けた。(後に単にババと呼ばれる)。やがてこのお菓子を土台にパリの菓子職人によってサヴァランが作られた。おなじみのマドレーヌもここの宮廷の菓子職人のマドレーヌが考案したという説がある。
このような田舎町ナンシー発のお菓子がヴァルサイユ宮殿で流行し全国区なったっていった事にはうがったエピソードがある。当時のフランス王ルイ15世は色好みで、多くの愛人がいたが特に美貌で才能豊かなボンパドール夫人やデュパリー夫人などの愛妾を抱えていた。そうした中で王妃の父であるスタニスラス公は、ナンシーの新しいお菓子をヴェルサイユ宮殿の貴族の間で流行らせることで王妃の存在感を高めようとしたのだという。ま、これも昔の話で諸説あるから真偽の程は置くとしても、こんなことを考えながらスタニスラス公の像を眺めたり、少々キンキラキンながらロココ風の飾りが多い世界遺産の広場を散策するのは面白い。街に出ればマカロンの専門店のもあるし、旧市街の狭い路地歩きも楽しい。レストランではぜひこの地方で生まれたという昔風のキッシュ・ロレーヌを食べなくてはならない。美術に興味があればナンシー派美術館でアール・ヌーヴォー作家の作品を見るもよし。小さな町ながら少し興味を持てば見る所、体験する所がたくさんあるユニークな歴史をたどった町なのである。
さて、この旅の主題のチーズだが、この地はマンステル・ジェロメの産地ながら、ブリの生産エリアとも重なっているから、ナンシーの公益市場のチーズ売り場は圧巻である。AOP指定のチーズは少ないが、北フランスに多いウオッシュ・タイプのチーズが多いのも特徴で、見たこともないチーズがたくさんあった。
郊外に出ると、豊かな田園が広がり、東側にはアルザス地方の県境となるヴォージュ山脈のゆるやかな尾根が見え、斜面は牧場になっていて、この地方原産の乳牛達が横になってゆっくりと反芻していたりする。
ヴォージュ山脈はさして高くも険しくもないから、アルザスへの道はゆったりとした山道である。ヴォージュ山中の樅の木に囲まれた山中のホテルで旅の疲れをいやせば、国境の町ストラスブールはすぐそこである。