ミルクが白いことは当たり前で、誰も不思議には思わないでしょう。銭湯で牛乳を飲みながら「何故、牛乳は白いのだろう」と思ったのは、大学入学後間もない頃でした。その疑問が解けたのは農学部農芸化学科にて、「畜産物利用学」という専門科目を学んだ時です。その講義で「牛乳の主要たんぱく質であるカゼインは会合してカゼインミセルというコロイド粒子(注1)として存在している。このコロイド粒子に光が当たり、乱反射するから白く見えるのだ(注2)」と教わりました。この時教えていただいた先生がホエイのことを「ホエッ↑」と裏返った声でおっしゃるのが学生たちにバカ受けで、卒論研究をこの先生のもとで行うことになりました。そして何も分からないまま選んだテーマがカゼインミセルでした。
しかし、カゼインミセルを追及すればするほどますます謎が深まりました。刑事ドラマで犯人がうすうす見えているのに犯人と断定する証拠がなく、捜査が迷宮入りしていくのとよく似ています。就職試験の面接で、「キミー、そんな研究が何の役に立つのかネー。」と聞かれ、「分かりません!」と答えたことを思い出します。安心してください。今なら答えられます。「カゼインミセルの構造や性質がヨーグルトやチーズなど様々な乳製品の特性を決めるからです。」と。そればかりではありません。哺乳類誕生の謎を解き明かすキーポイントでもあります。
ミルクには豊富なカルシウムやリンが含まれていることは皆さんもよくご存じの通りです。カルシウムとリンは水中で結合してリン酸カルシウムとなります。リン酸カルシウムは骨や歯の主要成分であり、仔が生命を維持し、成長していくために必須の成分です。ところがリン酸カルシウムはpHが中性付近では殆ど水に溶けません。遺跡発掘をやると動物の骨や歯だけが残っているのはこのためです。もし、リン酸カルシウムが容易に水に溶ければ、血液や体液中に溶けだし、骨や歯として機能することはできません。水に殆ど溶けないリン酸カルシウムは水中で沈殿してしまいます。すると、水が90%もあるミルクでリン酸カルシウムが沈殿し、乳腺と呼ばれる細いミルクの出口が詰まってしまいます。ということは仔にミルクを与えることができません。
そこで、動物は水に溶けないリン酸カルシウムを大量、かつ安定的にミルクに存在させ、仔に与えるにはどうしたらよいのか、という課題に遭遇しました。この課題を解決したのが哺乳類であり、カゼインミセルを利用してその中にリン酸カルシウムを包み込むという方法を発明したのです。この発明により、哺乳類は大量のリン酸カルシウムを仔に与えることが可能になり、今日の繁栄を手にすることができたのです。カゼインミセルを発明したからこそ哺乳類が誕生したのです。したがって、もしミルクが白くなければ、すなわちカゼインミセルがなければ、私たちはこの世に誕生できなかったのです。
このようにミルクが白いからこそ哺乳類が誕生し、おいしくて健康によい様々な乳製品を食べることができるのです。こう考えると、ミルクをただ一気飲みするのではなく、じっくり味わいながら、ミルクをもたらした動物たちに感謝し、ミルク創造に至るまでの膨大な時間の流れに想いを寄せてみるのも必要なのではないでしょうか。
さて、ではミルクは何からどのようにして進化したのでしょうか。次回はミルクの進化について考えてみましょう。
注1:コロイド粒子とは大きさが1nm~数百nm(nm:ナノメーター、1nm = 1/100万mm)の微粒子で、水に完全溶解しているのではなく(完全に溶解していれば透明)、沈殿しているのでもなく、分散している(白濁して見える)粒子のこと。
注2:ミルクが白い理由は、カゼインミセルで光が乱反射されることが一番大きな理由ですが、脂肪球による白さも関係しています。