5月下旬、NHKスペシャルにて「桜蘭の美女(正確な番組タイトルは覚えていません)」が放映されました。ご覧になった方も多いと思います。新疆ウィグル地区の墓から約3800年前のミイラ(つまりBC2000年頃没)が発掘されました。発掘そのものは1980年のことだそうですが、それ以後様々な科学的検討が加えられました。「桜蘭王国の美女」と謳われ、眼は奥深く、茶髪のヨーロッパ系の血が入った人種です。体は羊毛で包まれ、頭にはフェルトの帽子をかぶり、鳥の羽が刺してありました。放映では紹介されませんでしたが、ミイラの首には団子状の有機物がネックレスのように並べられていたそうです。この有機物を詳しく分析した結果が論文となっています(J. Arch.Sci., 45: 178-185, 2014)。
まぁ、何ということでしょう!この有機物は3800年前のケフィアを固めたまぎれもないチーズであり、現存する最古のチーズなのです。さらに、いくつかの興味深い事実が分かりました。①このチーズにはケフィア菌と酵母を主とするケフィアに特有の微生物が含まれており、現在の「ケフィア」と類似した乳製品であったこと、②コーカサス地方やチベット地方で現在用いられているケフィアグレイン(ケフィア菌と酵母の混合物で、ケフィア菌が産生する多糖類で粒状になったもの)を用いてケフィアを試作した結果、墓から発見された乳製品とよく似た菌組成であったこと、③食塩含量は1%未満であり、長期保存を目的にしていなかったこと、つまり、どこか別の場所で作られたものではないこと、④カゼインに比べてホエイはわずかであり、意図的にホエイ排除されていること、すなわち乳糖不耐症(2016年6月20日)の人でも食べることができたこと、⑤脂肪含量が低く、脂肪を物理的に除去していたこと、⑥レンネットでκ-カゼインが分解された形跡がなく、発酵後ホエイ排除を行い、圧搾、天日乾燥したものであること、などが分かりました。
平田先生がお書きになった「人とミルクの1万年」(岩波ジュニア新書)によれば、乳文化は西アジアで発祥し、インド方面(南方系)と中央アジアからモンゴル方面(北方系)に伝播しました。北方系乳文化の特徴の一つは脂肪を積極的に取り除き、脱脂乳から乳製品を製造していた点が挙げられます。したがって、西アジアから伝わった乳文化が桜蘭を含む北方地域で特有に発達し、このチーズを誕生させたことになります。ケフィアチーズそのものは西アジアから運ばれたものではなく現地にて製造されたということは、少なくともBC2000年頃には桜蘭地区に現在の乳製造技術に匹敵する程の高度な乳技術が根ざしていたと推察できます。
さて、桜蘭からシルクロードをたどって西に目を向けるとアフガニスタン北部に至ります(図参照)。
シルクロードつながりでちょっと気になり、6月上旬に国立博物館で開催されていた「黄金のアフガニスタン展」を観に行きました。そうしたら、そこに展示してあった秘宝の数々、特にアフガニスタン北部の「ティリア・テペ」地域から発掘されたBC1世紀~AC1世紀頃の秘宝には目を見張りました。この地域は遊牧民の支配地で、王族らが身にまとっていた金、宝石で作られた冠、装飾品は叶姉妹でもびっくりするに違いないくらいスゴイものでした(http://www.gold-afghan.jp/gallery3.html)。遊牧民というと貧しい暮らしというイメージしかなかったのですが、一体どのようにしてこんな財宝を手に入れることができたのでしょうか。羊毛や毛皮は大きな収入源になったのでしょう。また、アフガニスタン北部は瑠璃(るり)という群青色に輝く宝石が産出された地域でした。さらに、アジアとヨーロッパの文化がちょうど交わる地域なので、交通の要衝を押さえることで富を蓄えた可能性もあります。面白かったのは、遊牧民故に、ジャラジャラ宝石がぶら下がっている黄金の冠は移動に便利なように組み立て式になっていました。彼らはどのような乳製品を食べていたのでしょうか。謎は深まるばかりです。
ちなみに、放映された中で、桜蘭の美女はヤギ乳から作った化粧品を使っていたことがチラッと語られていました。ヤギ乳クリームはクレオパトラも使っていたそうですから(2016年2月20日)、古代美女の必需品だったのですね。