C.P.A.の会報誌『C.P.A.通信 vol.119(2021年12月)』の「熟成空間」にて”フロマG“さんは「数百年、物によっては数千年かけて確立されたヨーロッパのチーズを、このような短期間で追いつき追い越しにかかる日本人のセンスはどこからくるのか。・・・」と驚きの感想を述べられています。まったく同感です。フロマGさんはさらに続けて、日本の周辺は「チーズ文化を持たない国」であり、「決して有利とはいえない状況」なのだと書いておられます。
確かに、日本は海に囲まれ、かつ鎖国政策でした。なので、出島を訪れた一部の日本人はヨーロッパ型チーズを食べた可能性はありますが、殆どの日本人は食べたことはありませんでした。しかし、だからこそ明治になってヨーロッパ型チーズに関心を抱いたのではないかと考えます。というのは、日本には発酵食品の歴史があり、食品が腐る過程でおいしくなる場合があることを知っていました。なので、海外において腐らせておいしくなった食品、例えば魚醤、テンペ(発酵豆腐)などは日本の食卓には定着していません。日本には類似の発酵食品(魚醤 vs 醤油、テンペ vs 納豆)などがあり、あえてこれら海外の発酵食品を必要としなかったのかもしれません。例外的にキムチがありますが、キムチが日本に定着し始めたのは1975年に「キムチの素」が発売されてからのことです。日本にチーズに似たような発酵食品が根付いていれば、チーズは”対抗食品”となり、最初から排除されていたのではないかと推測します。チーズは当初日本の食卓に定着しなかったのですが、類似した食品がなかったので排除の対象にはなりませんでした。
幕末から明治維新にかけて海外を視察した武士たちは、西洋人の体格に驚きました。当時の戦は銃撃戦の後銃剣突撃を行い白兵戦で勝負をつけていました。西洋人が突き出す銃剣は日本人に簡単に届きますが、日本人が突き出す銃剣は西洋人には届きません。この体格差が肉や乳製品を食べる食生活に由来していることを痛感した明治政府は、酪農の重要性を認識します。ちょうど、明治維新によって失業した武士たちが多数いたため、彼らに対する失業対策として強力に酪農を学ばせました。アメリカ人からヨーロッパ型チーズを学んだ元武士たちは、しかしながら大変な苦労をしたにも関わらず安定的にチーズを作ることができませんでした。その理由は、当時のヨーロッパ型チーズ製造は経験と勘に基づいていて、科学的根拠がないと指摘しています(乾酪製法記)。だからこそテロワールが重要となり、その土地における環境諸条件でのみ最適となる製造方法が確立されていたのです。テロワールが異なる日本にヨーロッパ型チーズの製法を持ち込んでも同じものが作れないのは当然です。明治初期には乳酸菌の役割や酸度、pHなどの概念もまだなく、乳が何故凝固するのか、熟成(=半腐敗)中に何が起こっているのかも分かっていなかったのですから仕方ありません。
しかし、チーズ製造には科学技術を身につけることが重要であることに気付いた点こそが今日の国産チーズ製造をもたらせた原点なのではと考えます。それ故に海外に留学しヨーロッパ型チーズを学んだ人々が帰国後チーズ工房を立ち上げました。その代表格が出納陽一です。出納陽一より前にもチーズ工房はありました。表は大正から昭和初期におけるチーズ製造者と生産量を農商務省(現在の農林水産省)の統計から抜粋したものです。竹本次男や奥平喜作は生産量から推測して個人的な小規模生産者(チーズ工房)であったと思われます。
明治43年に発行された「牛乳及び製品論」には明治初期には解明されていなかった乳酸菌の働き、酸度測定、レンネット活性の測定などチーズ製造の基本となる科学技術が述べられておりチーズ製造者には大いに参考になったと考えます。
このように、科学技術の進歩に伴いチーズ生産量も増えていきますが、乳質が不安定であったことが大きな課題でした。この課題に直面したデンマーク帰りの藤江才介は生乳を殺菌してからチーズを作ることに踏み切りました。伝統的なヨーロッパ型チーズは無殺菌乳を原料としています。故に加熱殺菌乳からチーズを作ることに葛藤や不安があったと思います。しかし、日本でも飲用乳は衛生的な観点から加熱殺菌を行うことが定められたこともあり、チーズ乳も殺菌することに踏み出したのです。これによりチーズの品質が安定化し、大量生産も可能となりました。藤江才介が工場長に就任した北海道製酪販売組合連合会(酪連、現雪印メグミルク)遠浅工場の生産量はそれまでのトラピスティヌ修道院の生産量を大幅に超える大量生産が可能となったのです。しかしながら、日本でチーズ乳の殺菌が一般的になったのは戦後のことでした。
戦後は科学技術の進歩に伴い乳業メーカーは海外から乳業設備を導入して大量生産を行いながら、よりおいしく安定した品質とすべく不断の改良を行ってきました。また、海外あるいは国内にてチーズの基礎を学んだ方々が工房を立ち上げ、様々な工夫を凝らし独自のチーズ作りに取り組みました。これらの努力により国産チーズのレベルが高まりました。忘れてはならないことはC.P.A.が主催するジャパン・チーズ・アワードや中央酪農会議のオール・ジャパンなどのコンテストがチーズのレベルアップに大きく寄与している点です。コンテストに入賞することは勿論ですが、他の工房から出品されるチーズを知り、さらなる工夫を凝らすことがレベルアップにつながっています。また、海外のコンテストに果敢に出品し、自分のチーズが世界の中でどのように評価されるかを知ることもめっちゃ役立っていると考えます。
「乳科学 マルド博士のミルク語り」は毎月20日に更新しています。
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